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【サイケデリック学・意識哲学探究記】12238-12241:2024年3月2日(土)



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タイトル一覧

12238. 三方良しの解放に向かって

12239. 極度な集中力をもたらしているもの/今朝方の夢

12240. 今朝方の夢の続き

12241. 龍樹の中観思想と世親の唯識思想


12238. 三方良しの解放に向かって


時刻は午前2時半を迎えた。今日はいつもより少し早く起床し、目覚めたのは午前2時だった。起床した瞬間に目覚めの良さを感じ、今日もまた唯識思想の研究に打ち込めるという想念が芽生えると、そこで喜びと至福さに包まれた。なんという素晴らしい目覚めだろうか。最近はもう毎日がそのような形で多大なる喜びと至福さに溢れている。唯識思想を学べるというただそのことだけが幸福の最大の源泉になっている。唯識思想を学ぶことに伴うこの溢れんばかりの喜びと至福さは言わずもがな、その学びが自他の成長につながると確信しているからだ。その確信は、少なくとも自分の成長実感によってもたらされている。唯識思想を学び始めてからというもの、他人にはまだ気付きにくいかもしれないが、着実に自分の内面は良い方向に変化し始めており、さらなる成長の兆しが見えている。何よりも、唯識思想は自分の至らなさを痛感させてくれるという意味で、自分の成長余地を多分に見せてくれる点に大きな意義を見出している。唯識思想を自分の内面世界を映し出す鏡として、そして教師として今日もまた唯識思想の探究を人知れず進めていく。


今朝方起床した際に、自分の心の小ささを感じる想念が芽生えた。それは今となっては蔑称となっている小乗的な発想であった。自分さえよければという小さな心。それがまだ自分の中に確かに残存している点は否定することができない。他者と共に喜び、他者と共に幸せを感じ、他者と共に救われる道を歩みたい。そしてそれが社会にとっての善につながる行為として現れて欲しいと思う。自分と他者、そして社会全体の三方良しの発想を常に持ちたいものだ。ここで述べている社会全体とは、当然ながら生きとし生きるもの全てを含む。できる限り自分と近くの他者だけではなく、全ての存在者にとって善い行いをしたいものである。それを継続させていくこと。仏教を含めた宗教の価値は、そうした道徳的行為を導く教えがあることである。とりわけ仏教の核には善行を通じた悟りへの階梯を大切にしている。唯識思想で展開されている詳細な心の分析もまた善行を導くためのものであり、悟りを通じた三方良しの解放をもたらすことを目的にしていることを見誤ると、唯識思想は難解な心理学に留まるだろう。唯識思想は大乗仏教の瑜伽行学派の思想体系であり、それは常に悟りと善行を目的にしたものであることを決して忘れないようにしたい。今日もまた自分にできる三方良しの善業を小さく積んでいきたいと思う。その徳の集積がまた新たな三方良しのより大きな善行につながることを信じて。フローニンゲン:2024/3/2(土)02:42


12239. 極度な集中力をもたらしているもの/今朝方の夢

       

まだ午前3時にもなっておらず、今日もまた旺盛な探究活動に従事できそうであり、それを思うだけで幸せな気分になる。幸福物質が脳内から分泌され続けていることを感じながらの唯識思想研究はさぞかし捗ることだろう。最近はもう異常とも言えるような高い集中力で唯識思想の研究に取り組むことができている。その集中力は自分でも驚くほどである。しかしよくよく考えてみると、2週間に1度のシロシビン・セッションと毎日数回行う瞑想実践がそうした極度な集中力をもたらしていることはすぐにわかる。さらには、毎朝欠かさず行っているアニマルフローの実践と週に2回のジムでの筋力トレーニング及び有酸素運動、それに加えてずっと立って読書をしていることが極度な集中力の補助になっていることは確かだと思う。こうした細かな変数たちのおかげで今の自分の高度な集中力がもたらされている。今後生活拠点を変えたとしても、この変数群は忘れないようにしたい。適切な変数設定をし、値の入力を適切なものにすれば、きっと誰でも高度な集中力を獲得して自らのライフワークに打ち込めるであろう。各人がそれぞれのライフワークに思う存分に没頭して幸福に生きる社会の実現。それを自分は何よりも望んでいる。その実現のために自分にできる数少ないことが唯識思想の研究なのであり、そこで得られた知見の共有なのである。いつかその知見が智慧の共有であると言える日が来て欲しい。本当に人々を救い、人々に心の成長をもたらすのは智慧なのだから。


今朝方の夢についてぼんやりと思い出したことがあった。夢の中で私は見慣れない韓国料理屋にいた。座敷席のテーブルには小中学校時代の親友が3人ほどいて、楽しく話をしながら料理を食べていた。韓国料理には肉が付き物だという印象が自分の中にはあり、ヴィーガンの自分はあまり食べるものがなさそうだなと思ったが、意外と野菜も豊富にあって、それらを中心に食事を進めていた。食事の最後に温麺を注文しようということになった。この時期はまだ冷麺ではなく温麺の季節で、食後のデザート代わりにそれを食べると美味い。みんなで温麺をそれぞれ注文し、しばらくすると温麺が出てきた。メインの料理を結構食べたこともあり、出された温麺が意外と少量であったことは逆に嬉しかった。音麺をよくよく見ると、そこにチャーシューが乗っていたので、ヴィーガンである私はそのシャーシューを右隣に座っていた友人にあげた。チャーシューを抜いた温麺を早速すすってみると、その美味に思わず舌鼓を打った。しかしどういうわけか、冷麺が恋しくなってしまい、季節上まだ冷麺はないだろうと思ったが、温麺の後には冷麺も注文してみたいと思った。そのような夢を見ていた。


集中力の高度化と食事を絡めてみると、夢の中の自分のようにヴィーガン食を実践していることによる胃腸への負担の軽減もまた重要な事柄だろう。朝食は食べず、昼は果物とオートミールを少々摂り、夜は茹でた野菜と豆腐と納豆を食べるということを毎日ずっと繰り返している。決して満腹になるまで食べることはせず、腹八分ではなく、腹七分ぐらいの夕食にすると、入眠までに随分と消化が進んでおり、入眠も速やかで睡眠時間も無駄に多く取る必要がなく、すっきりした形で目覚めることができる。消化に負担になる肉類を食べず、量を程々にする食実践は自分の集中力の源になっていることを改めて思う。フローニンゲン:2024/3/2(土)03:00


12240. 今朝方の夢の続き   


時刻は午前3時半を迎えた。ここからゼミナールのクラスまでの時間を唯識思想の研究に充てていきたいと思う。とにかく今は基本書となるテキストを何度も繰り返し読むことを大切にしたい。唯識思想に関する専門的な論文を読む前に、無著や世親が残した書物を擦り切れるぐらいに読んでいく。それを継続させていけば、そこから先の研究として読み解く専門論文の読解は容易になるだろう。まさに筋力トレーニングと同じで、土台をしっかり作っていくことなのだ。知性の基盤と肉体の基盤の構築プロセスとその大切さは瓜二つである。


本日の唯識思想の研究を始める前に、今朝方の夢の続きを振り返っておきたい。夢の中で私は、見慣れない山間のキャンプ場にいた。そこはどうやらスイスの山間と日本のどこかの山間が混じり合っているような雰囲気を発していた。二国の微細な雰囲気を感じ取っていたのは、自分がそのどちらにも行ったことがあるからだろうとふと思われた。そのキャンプ場を1人の友人と散策しているときに、テントを張れる空間に出会した。そこは広々としていて開放的だったのだが、そこになぜか汚れたバスタブがポツンと置かれていた。それはかつてそのキャンプ場で使われていたものなのか、それとも誰かが不法投棄したものなのかはわからなかった。いずれにせよ相当に汚いバスタブであることは確かだった。そのバスタブを私は綺麗にしたいとふと思った。バスタブを綺麗にするための道具と食糧を買いに行くために、友人と一緒に山を降りていくことにした。私たちは自転車に乗り、澄んだ空気を味わいながら快調に自転車を漕いで行った。そのような場面があった。


その他に覚えている場面としては、おそらく同じキャンプ場を今度は両親と一緒に車に乗って散策している場面である。車に乗って山道を走るのはとても気持ち良く、先ほど友人と自転車を漕いでいた時はまた違った心地良さがあった。ある長いトンネルを抜けた時、道が複雑に分岐していて、車を運転している父はどちらに行けばいいのか迷っているようだったので、私は咄嗟に進むべき道を指示した。父は私の迅速な意思決定に舌を巻いており、どうして進むべき道が分かったのかと尋ねた。それに対して私は、「なんとなく。直感的に」と答えた。すると父と母は笑った。その時私は、自分の直感を素直に信じてくれる両親に感謝し、そんな両親のもとに生まれ、2人に育ててもらえて本当に幸せだったと思った。フローニンゲン:2024/3/2(土)03:54


12241. 龍樹の中観思想と世親の唯識思想       


時刻は午前8時半を迎えた。今朝は午前2時に起床し、そこから今に至るまで充実した時間を過ごすことができている。ここのところは日の出が早くなり、日の入りの時間も伸びた。今月末からサマータイムが導入されるのも頷ける。


早朝から今にかけての唯識研究においては、まずは龍樹の中観思想と世親の唯識思想を比較検討する“Madhyamaka and Yogacara: Allies or rivals?”という書籍の再読から始めた。龍樹の中観思想についても、主著の『中論』に関する英訳書の“Nagarjuna's Middle Way: The Mulamadhyamakakarika”を再読する形で、さらに理解を深めたい。一口に「空(くう)」と述べても様々な種類の空が存在しており、それらについてきちんと理解しておかないと、空の理解は不十分となり、空を誤って解釈して適用してしまう「悪取空」に陥ってしまうだろう。“Madhyamaka and Yogacara: Allies or rivals?”の書籍を読みながら、龍樹の思想に瑜伽行唯識学派の思想と同様のものが見られるとのことだが、時代区分として、龍樹は世親よりも随分と前に生誕していたはずなので、その時間的隔たりを見ると、むしろ世親が龍樹の中観思想に影響を受けており、龍樹は唯識思想を先取りしていたと見る方が正確なのではないかと思ったが、仏教史的にはどのように解釈されるのだろうかと気になったところである。いずれにせよ、引き続き大乗仏教の二大柱である中観思想と唯識思想を絡めての探究は継続していきたい。今はまず後者の思想に関する理解をとにかく深めていくことが先決である。


あと1時間後に行われるゼミナールのクラスまでは、仏教とサイケデリクスとのつながりについて解説した“Secret drugs of Buddhism: Psychedelic sacraments and the origins of the Vajrayana”を読み返そうと思う。前回読んだのはもう1年前になり、今回は4読目となるが、今回は以前と違って唯識思想や仏教全般に関する知識量が増しているのでより得られることが増えているだろう。それを楽しみにして仏教とサイケデリクスとの深いつながりを本書を通じて理解していこう。フローニンゲン:2024/3/2(土)08:48


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