1014. 拡散的な思考と留まることについて
今日は少しばかり風が強いが、天気に恵まれた日曜日だ。書斎の窓からつぼみの付いた木々が風に揺られている。 先ほど早朝に取り掛かっていた、ジル・ドゥルーズの “Difference and Repetition (1968)”の一章を読み終えた。残すところあと二章となり、明後日...
1009. さらなる下積み期間を求めて
食卓の窓から見える景色が随分と春らしくなった。それを象徴するのは、今目の前の広場に咲き誇っているタンポポだ。 真夏の太陽よりも鮮明な黄色を発するタンポポがついに姿を見せてくれた。食卓の窓から見える広場は、小さなタンポポ畑になっている。...
1008. 逆周りから得られた気づき
今日のような日を春と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。フローニンゲンもようやく春に入ったようだ。 確かに、朝晩はまだ暖房をつけている。しかし、今日はとても暖かい日曜日だ。 午前中の仕事を済ませ、私はランニングに出かけた。今日は自宅を出発する前に、なぜだかいつも走るコースを逆周り...
1007. 認識と行動を変える哲学
今朝はまず最初に、ジル・ドゥルーズの“Difference and Repetition (1968)”を一章ほど読み進めた。残すところあと三章となった。 本書は英訳においても難解な箇所が多々あるのだが、日本語訳はどのような文章になっているのか気になるところである。翻訳とい...
1003. 哲学の力と概念の力
なぜだか私は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番の第3楽章が始まるといつも仕事の手を止める。意識を向けようとせず意識がそこに向かうのだ。 『テンペスト』と呼ばれるこの曲、特に第3楽章は、必ずその存在を私に訴えかけてくる。そこに意識が向かう時、それが第17番の第3楽章である...
1002. 問いが問いを生み、問いが問いを解決することについて
今日の午前中は、計画とは随分と異なる形で進んだ。午前中にジル・ドゥルーズの“Difference and Repetition (1968)”を一章読んだ後、カントの“Critique of Judgment (1790)”の中で、今の自分の関心に最も合致する箇所を中心に再...
990. 内発動機と外発動機
ここ数日間は、非常に旺盛な読書に打ち込むことができている。外見上はこれまでの日々と一切変わりのないものに映るかもしれない。 しかし、自分の内側では、ここ最近の読書は以前のものと幾分違った質を持っていることがわかる。それは多分に、自己の純粋な内発動機だけに従って書籍や論文を選...