
2864. 他者の声
早朝の空を覆っていた薄い雲が晴れ渡り、今は青空が広がっている。爽やかな風が吹き、街路樹を揺らしている。 外の世界に風が吹くとき、自己を取り巻くゆりかごが優しく揺れるような感覚になる。この世界は大きなゆりかごだったようだ。鳥たちがそのゆりかごに揺られながら、安心して大空を舞っている。 多くの人は見過ごしがちかもしれないが、空気にも肌があり、建物にも肌がある。生物のみならず、無生物にも肌があるのだ。 そう考えると、常に私たちは他者の肌と触れ合っていることになる。この世界は肌で構成されており、肌の充満性しかそこにないということを忘れている現代人が多すぎるように思えるのは私だけではないだろう。 表面的な人間関係。外見上は物を愛しているように見える現代人も、実際には物すらも深く愛していない。彼らは一様に肌を認識することができず、肌のぬくもりに気づけていないのだ。 今日はこれからテレマンに範を求めて一曲ほど作り、散歩がてら近所のスーパーに買い物に出かける。早朝にバッハに範を求めて一曲作った際に、参考にした曲はとても短いものでありながらも、そこにはやはりバッハ

2863. 単語のネットワークの拡張と自己の深化
昔から英単語を覚えることが好きであったが、この歳になってもそれに喜びを見出す自分がいることに気づいたことは驚きである。日本語の語彙も英語の語彙も、その成長速度は微々たるものだが、ゆっくりと言葉のネットワークを育んでいくことはいくつになっても独特の喜びをもたらす。 言葉というのは不思議なもので、語彙が豊富になればなるほどに、認識世界が拡張していく。また、言葉のネットワークが密になればなるほど、認識世界内での言語使用の密度及び堅牢性が高まる。こうしたところに喜びの根源があるのかもしれない。 先日、“herring”という魚の姿は自らの英語空間の中で完全に想起されていたのだが、その単語に対応する日本語を忘れており、幾分もどかしい思いをした。それが「ニシン」であることを思い出したのはしばらくしてからであり、言葉が欠落することの不自由さを実感することになった。 私たちは言葉を使って思考をする生き物であり、言葉の欠落は思考運動を随分と妨げるのだなと改めて思わされた。そもそも、ある言葉の意味を知らないということはその言葉が意味する事柄が自分の意味世界にはないと

2862. GRE試験対策の楽しみ
今朝方は夢を見ていた。起床してから時間はそれほど経っていないが、記憶がすでに断片的なものになってきている。覚えている範囲の事柄を書き留めておきたい。 夢の中で私は、埼玉に住む知人の家に行くことになっていた。ちょうど私がいる場所は東京駅であり、知人の方の話によると、東京駅から最寄り駅までは電車で一本で行けるとのことである。 それは非常に便利だと思っていたところ、時間としては二時間ほどかかることがわかった。しかし電車に乗ってみると、二時間という時間を忘れさせてくれるような景色が窓の外に広がっていた。 確かに、時に開発中の街の姿などが目に入ってきたが、そうした景色ですらも自分の内側の何かに響くものがあった。天気はどこか初秋のそれを思わせる。 優しい太陽の光が電車の中に差し込んでおり、それに包まれながら私はぼんやりと窓の外を眺めていた。二時間という時間は長いように思われるかもしれないが、全くそれが長いものだとは思えないような心境で私は電車の中にいた。 電車に揺られていると夢の場面が静かに変わった。そこからの夢についてはどうも思い出せない。そこからはまた別

2861. モネの生涯から
今朝はここ数日間と異なり、起床直後の空は雲に覆われていた。朝日が差し込んでおらず、幾分薄暗い印象を私に与えた。 今日は六時前に起床し、六時を少し回ったあたりから一日の活動を開始させた。つい先ほど毎朝の習慣のヨガを行い、一日分のお茶を入れた。 昨日はついつい目の前の取り組みに集中するあまり、夕方のヨガの実践を怠ってしまっていた。今日はそのようなことがないようにしたい。 身体を整えることは何より重要であり、それが心を整えることにつながる。一日の活動の際は絶えず呼吸をゆっくりとしたものにすることを意識したいと思う。 普段の私の呼吸の速度は十分にゆったりとしたものだが、さらに緩やかに呼吸をすることも可能だろう。その余地がいかほどかを観察し、さらにゆったりとした呼吸の実現に向けた意識付けを行っていく。 今日は空が雲に覆われているからか、昨日よりも涼しく感じられる。今日の最高気温は24度とのことである。来週の頭は少しばかり気温が上がるようだ。 来週末は昨年の秋に訪れたオッテロー村を再度訪れる。その村のデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の近くのホテルに宿泊し、クレ

2860. 自分の取り組みに専心すること
時刻は夕方の六時を迎えた。今日の大半は強い日差しが差しており、午後に少しばかり太陽が雲に隠れる時間帯があった。 穏やかな早朝の雰囲気を改めて思い出してみると、心が落ち着く。そよ風の音に耳を傾けると、こうも心優しい気持ちになれるのだ。 優美な時間の流れの中で生きること。それが常態化し、優美さが即日々だと言えるような状態になってきている。 時間がゆっくりと流れ、緩やかな時間の流れの中で自分が取り組むべきことに専心する日々が続く。他人が自分の取り組みにあれこれ何か意見を述べたとしてもそれに耳を傾けてはいけない。 残念ながら人の取り組みに意見を述べる人は、自分の人生において取り組むべきことを持てていないのだ。ライフワークとも呼べるべきものがないがゆえに、意識を集中する対象を持たないがゆえに、人の取り組みにとやかく口を出そうとする輩には注意しなければならない。そうした人との付き合いを一切絶つ日も近づいている。 ここのところ就寝前にこれからの生活地について考えることが多い。どのような場所で生活をするかは精神生活に多大な影響を及ぼすがゆえに生活拠点の選定は非常

2859. バロック時代の二人の巨匠テレマンとバッハ:ワークライフバランスについて
早朝の作曲実践を先ほど終えた。今日はここ数日間と同様に、バッハのコラールに範を求めた。 現在はまだ二声のコラールを参考にして曲を作っている段階であり、楽譜に収められた69曲の全てを参考にした後は、371曲ほどの四声の曲を参考にしていく。一日の始まりの作曲実践と一日の終わりの作曲実践はバッハのコラールを参考にしており、一日二曲ほどバッハから範を求めていることになる。 仮にこれを今後毎日続けたとしたら、二声のコラールについては残り50曲であるから25日ほど時間を要し、371曲の四声の曲については半年ほどの時間を要するだろう。いくら時間がかかろうともこれを成し遂げていく。 そう思わせてくれたのは、バッハの曲に範を求めている時の自分の内側の感覚である。より正確には、バッハの曲に範を求め、出来上がった曲を聴いてみると、それは外見上は極めてシンプルで時間も短いものなのだが、何か大切なものが梱包されているように感じるのである。 こうした感覚を一番強く引き起こしてくれるのがバッハの曲であり、それと同等のものを引き起こしてくれるのがテレマンの曲だ。後期バロック音楽

2858. GRE対策に向けて
時刻は早朝の七時を迎えた。オランダの朝は早く、この時間帯には通勤や通学に向かう人たちの姿を見ることができ、自宅の前の通りの工事も始まった。今、静かに工事が進んで行く音が聞こえる。 今日は風が吹いておらず、街路樹が静かにその場にたたずんでいる。空は晴れ渡っており、数羽の鳥たちが元気に空を舞っている姿を今眺めている。 先ほどの日記で書き留めたように、昨日から少しずつGRE試験に向けた勉強を始めた。試験勉強としてやることは明確であり、数学のセクションの勉強は問題形式の確認程度にとどめ、ライティングと語彙・英文読解のセクションの対策に時間を充てることである。 先週に対策問題集を解いてみたところ、四年前に比べて進歩が見られたことは喜ばしかった。今日から来月末の試験に向けて徐々に勉強を進めていくが、それは勉強というよりも一つの楽しみとして捉えることができる。 この四年間の学術英語に関する進展を確認することができるという楽しみがあり、何よりもGREの単語を覚えていく作業が面白いということは幸いだ。確かにGREに出題される単語はTOEFLで出題される単語とは比べ

2857. 今後の生活地について
起床直後に目を開けてみると、真っ赤に輝く朝日の姿が飛び込んできた。燦々と輝く朝日を寝室の窓からしばらく眺め、私は書斎に向かった。 六時の起床から六時半の一日の活動の開始までいつもと同じルーティーンを行った。天気予報を確認すると、今日も晴れとのことであり、気温は昨日よりも涼しい。昨日は幾分暑かったから、今日のような程よい涼しさを持つ気温は有り難い。 昨日から少しずつGRE試験用の単語を覚え始めた。試験自体は来月末にあり、今から一ヶ月後にある。 オランダではGRE試験を受けられる会場が少なく、アムステルダムに二箇所あるぐらいだ。試験開始の時間は九時であり、フローニンゲンから会場までの移動時間を考えると、試験の前日に前泊する方が賢明だと思われたため、先日ホテルを予約した。 アムステルダムの試験会場がある辺りはこれまで訪れたことがないため、試験の前日は散歩をし、その辺りの雰囲気がどのようなものかを感じ取りたい。四年振りにGRE試験を受けようと思ったのは、この四年間における学術的な英語力の伸びを確認するためと、実は米国のある大学院に芸術教育と教育哲学の双方

2856. 自らに課す三種類の教育
時刻は夕方の四時半を迎えた。今日は素晴らしい快晴となり、昼食前にランニングに出かけた。それは多分に気分転換となり、心身の状態を整える上で素晴らしい時間となった。 今日はいつもより気温が高く、幾分暑く感じられるほどだ。書斎の窓のカーテンを閉め、太陽の熱が部屋に入ってこないようにしている。 今日は暑いと思ったら、最高気温が29度に到達する時間もあったようだ。今は27度ほどであり、明日は最高気温が24度とのことであるから今日よりは過ごしやすい一日となるだろう。 今週末も先週末に引き続き、近くの教会に足を運び、オルガンコンサートに行こうかと考えている。突然計画が変わることも考えられるが、今のところ土曜日にオルガンコンサートに参加する予定だ。幸いにも、今週の土日はどちらも共に最高気温が23度ほどであり、天気も晴れのようだ。 先ほど、昨日から読み進めていたクリシュナムルティの書籍を読み終えた。真の教育の重要な側面は、各自が最も関心を示すものが何かを発見する手助けをする、という主張はまさにその通りだと思う。 一方で、現代の教育がその真の役割を果たせていない要因

2855. 固有な体験からの学び
今日はもう少ししたら近所のノーダープラントソン公園にランニングに出かけたいと思う。早朝の空を覆っていた薄い雲がどこかに消え去り、今は青空が広がっている。気温もほどよく、ランニングにはもってこいだと言える。 早朝に空を眺めていると、空から慈しみが降り注いでいるかのように思えてきた。本来は、毎日慈しみが天から降りてきているはずなのだが、私たちの曇った眼にはそれがなかなか認識されない。これはとても残念なことである。 眼が曇っているというよりもむしろ、依然として眠りについた状態だと言えるかもしれない。現代人は寝ているか、幻覚を見ているかのどちらかだ。そのようなことをふと思う。 自宅の目の前の歩道の工事が少しずつ進んでいる。今日もゆっくりと工事が進んで行く。それは本当に目には見えないほどのゆっくりとした速度で進んでいる。 工事が完成した時、私はおそらく何か特別な感情に浸ると思う。ゆっくりと進め、それを一つの形にしていくこと。目の前の通りの工事はその尊さを教えてくれるにちがいない。 今朝方に過去に作った曲を聴いていると、今から一ヶ月前に訪れたロンドンの記憶を