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⭐️【お知らせ】Back Number Vol 44(記事861-880)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事861から880に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードはこちら:Back Number Vol 44 目次(Back Number Vol 44) 861. 交差再帰定量化解析(CRQA)に関する優れた論文 862. ザルツブルグ、フローニンゲン、ブダペストでの学会に向けて 863. オーストリア旅行計画とオランダ政府からの支援について 864. 状態空間グリッドの創始者マーク・レヴィスからの学び 865. 発達科学の転換期の最中で 866. アイデンティティの発達と創発について 867. 探索と関与を通じたキャリアディベロップメント 868. 束の間の休息に 869. つぼみと存在の流転 870. ピアノの即興演奏とシンクロナイゼーション 871. オランダ最優秀ティーソムリエの友人 872. 破壊的かつ感動的な夢について 873. 春の予感がする頃に 874. 夢が持つ垂直的な意味の解釈へ向けて 875. 季節の以降に伴って 876. 茶番な師弟関係 877. サイコセラピストとクライアントの相互作用に関する研究 878. 書くことと内側の体系との関係 879. 友人のピアノコンサートに参加して 880. 春の花々が教える自己の永続性と不滅性:脱中心化と再中心化

2391. 研究に関する補足

現在取り掛かっている研究について書き留めた後、またさらに研究について今後の取り組みについて考えていた。「取り組み」とあえて述べたが、具体的に言えばこれから進めていく作業のことである。 実際の論文の執筆に関しては、すでにどのような項目を盛り込んでいくのかの大枠は出来上がっている。さらに、各セクションごとの文章もすでに執筆し始めているという状況だ。 私自身が文章を執筆することを好んでおり、論文を書くという行為の中に喜びを見出すことのできる特性を持っているため、今回の研究論文を書くことに関してもあまり心配をしていない。そのため、まずは昨日に作った時系列データの分析を行っていきたいと思う。 新たな時系列データを作ったことにより、フラクタル次元の特定と統計分析をまた新たに行う必要がある。また、今回研究対象とするMOOCは、フローニンゲン大学が過去に五回ほど提供しており、私が研究を始めた時にはまだ最新版のデータがなかった。 幸いにも、四回目と五回目はレクチャービデオのコンテンツは全く同じであるため、仮に最新版のデータを使う場合にも、これまで作った時系列データは全て使える。ただし、変更が必要なのは、学習成果に関するデータである。 すなわち、レクチャーの完遂率及びクイズスコアとテストスコアについては新たに取得しなければならない。昨日は日曜日であったにもかかわらず、私が金曜日の夜に送ったメールに対して、エスター・ボウマ博士から返信があり、レクチャーの完遂率を算出するためのデータの保存先を教えてもらった。 ボウマ博士のサポートには感謝をしなければならない。データの保存先を教えてもらい、中身を確認す

2390. 定量化基準の見直し

昨日は五時半に起床したが、今日の起床は六時半だった。一時間ほど起床時間がゆっくりとなり、目を覚ましてみると、辺りはすでに明るくなり始めていた。書斎の窓から見える景色は薄い霧に包まれている。 数日前の天気予報では、今日からしばらくの間晴れの日が続く予定だったのだが、今朝方予報を確認してみると、今日のみならず、ここから数日間は晴れの日がないようだ。実際に今日は午前中に少しばかり雨が降るそうだ。 天気そのものは優れないのだが、気温がようやく春らしくなってきた。確かにまだ一日の多くは暖房をつけるほどの気温であり、湯たんぽを使って寝ていたりしているが、随分と外気が暖かくなってきたことは確かである。 今週の金曜日からいよいよ中欧旅行が始まる。ワルシャワに四泊、ブダペストに四泊する小旅行である。両都市の天気予報を確認してみると、フローニンゲンよりも随分と天気が良く一安心だ。ワルシャワとブダペストでどのような出会いがあるのかは未知であるが、今回の旅もまた非常に意味のあるものになるだろうと予感している。 昨日は結局、随分と多くの時間を研究に充てた。今週の木曜日に行われる「デジタルラーニングと学習環境」の最終試験が終わり、中欧旅行を終えてから集中的に研究を進めていこうと思っていたのだが、少しばかり研究のことが気になり、昨日は随分と多くの時間を研究と共に過ごしていたように思う。 とりわけ、三つの定量化基準のうちの一つの基準を見直し、3000個ほどのデータポイントを持つ時系列データをもう一度作り直していた。三つ目の基準とは、対象とするMOOCの講義に関係する概念をリスト化し、各々のレクチャービデオの一

⭐️【お知らせ】Back Number Vol 43(記事841-860)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事841から860に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードはこちら:Back Number Vol 43 目次(Back Number Vol 43) 841. 再帰定量化解析の理解へ向けて 842. ある金曜日の仕事より 843. 生態系としての言語空間 844. シンクロナイゼーションについての再考 845. ある土曜日の暮らしぶり 846. 雲の上の不動の境地とブダペストでの生活可能性について 847. 喜びという感情の本質 848. ウィーン旅行の計画 849. システム的かつネットワーク的な発達 850. 発達理論に関して進展のないインテグラルコミュニティー 851. シューベルト記念館とフロイト博物館への期待 852. サイコセラピストとクライアントの相互作用に関するDSAを用いた研究 853. 創造性の発揮に必要なこと 854. 状態空間グリッドを用いたアトラクターの特定について 855. 今後の進路について 856.「状態空間グリッド(SSG)」について 857. アトラクターの発達研究に関する今後に向けて & トランジションの時期 858. メンタルモデルとトランジション 859. 二度と渡れぬ川のように 860. 交差再帰定量化解析(CRQA)について

2389. 分散的記憶

思っていた以上に早い時間帯に二本の論文を読み終えることができた。二つの論文は共に洞察に溢れており、再度じっくり読み進める中でまた新たな発見があった。 読書とはこのように、読み手である私たちが前回の読書の時とは異なる内面状態にあれば、常に新たな意味を私たちにもたらしてくれるものなのだろう。私たちの内側に小さな変化があれば、以前の読書とはまた異なる意味をもたらしてくれる点に読書の不思議さがあり、そこに読書の意義がある。 論文を読み進めていると、グレゴリー・ベイトソンの印象的な言葉に出会った。翻訳すれば、「記憶の半分は私たちの頭の中に、残りの半分はこの世界に存在している」という言葉だった。 読んでいた論文はまさに分散的知性を扱うものであったため、これは「分散的記憶」と呼んでもいいかもしれない。これは私たち個人が保持している記憶というよりも、この環境世界の中に埋め込まれている記憶である。 私たちが何か物体を見て、その物体によるアフォーダンスによって無意識的な行動を起こすのは、私たちの個人的な記憶による作用だけではなくて、もしかするとこうした分散的記憶によるものかもしれないと思う。人間とこの世界との関係性、そして人間知性への関心は尽きない。 今日のフローニンゲンの空は雲がなく、青空が広がっている。ただし、それは混じり気のない青空というよりも、少し霞みがかった青空だと言える。そうした空の状態が太陽の光を和らげ、フローニンゲンの街に優しい太陽光を届けている。 早朝に、自分が以前に作った曲を一つ聴いていた。その曲を聴きながら、私は春へ問いを投げかけ、春は私に問いを投げかけていることを知る。また

2388. 充実感と幸福感に溢れる日曜日に向けて

今日という日曜日がより充実したものになるように、少しばかり今日取り掛かりたいことについて書き出しておこうと思う。書くことの効力と魔力はまさにここにある。 文章を書くことによって、日々の物事が充実感と共にどこかに向かって伸びていく一本の線のように見える。もちろん、その線には紆余曲折があるのだが、その線が知覚されているか否かが重要であり、文章を書くことはそれを知覚させてくれる。 日々の一つ一つの取り組みが、どこか遥か彼方の世界に向かって伸びていくのが分かる。そして、その線こそが自分に他ならず、遥か彼方のその世界こそが自分がこれから向かっていく場所なのだと思う。そのため、今日取り掛かりたいと思っていることを時系列的に少しばかりまとめる。 早朝にまず取り掛かりたいのは、今週の木曜日に迫った「デジタルラーニングと学習環境」の最終試験に向けた準備として、二つの論文をじっくりと読みたい。一つはアフォーダンスに関する“Affordances: Clarifying and Evolving a Concept (2000)”であり、もう一つは“Practices of Distributed Intelligence and Designs for Education (1993)”である。 前者は分量としては極めて短いが、アフォーダンスの提唱者であるジェームズ・ギブソンの根幹思想について説明がなされているだけではなく、ギブソンのアフォーダンスの定義を修正拡張させたドナルド・ノーマンの定義と思想も明記されている。さらには、それら二つの定義と思想を昇華させる形で著者が独自の意味付けを行っている点

2387. 生きた絵画

早朝の七時を迎える頃、完全に夜が明けたことを知る。今日が日曜日であるからか、この時間帯は辺りが本当に静かである。 小鳥たちの声がまだ静かに鳴り響き続けている。こうした落ち着いた環境の中で日々の生活を送ることができていることにふと有り難さを感じた。 以前から私は、書斎の窓から見える景色を「生きた絵画」だと述べてきたが、今ではそこに小鳥たちの歌が加わっている。視覚的なものだけではなく、聴覚的なものも含めた生きた絵画がここにあり、これが自然が生み出す芸術作品なのだと思う。 欧州での日々が一日一日と過ぎていくにつれ、自分の感覚が徐々に開かれていく。そして、自分の内側に眠っていた成長の芽もまた外側に向かって開かれていく。 作曲実践に関して新たな習慣を始めたことを以前の日記に書き留めていた。これまでは就寝前の時間に作曲を行っていたが、その時間帯では集中力や創造エネルギーが減退している傾向にあるため、夜ではなく午前や午後に作曲の実践を行うというものである。 今は最後の試験に向けた学習があるため、午前中に作曲をすることはできていないのだが、昼食後に作曲実践に取り組むことができている。そこで一曲ほど作ることができており、これは良い習慣だと思う。 今後はもしかすると、無理に午前中に作曲実践をする必要はないのかもしれない。やはり今はまだ学術研究や協働プロジェクトを優先にし、それらの仕事は午前中に行う必要があるだろう。 もし時間が余れば、昼食前から作曲を始め、昼食後にまたそれに取り掛かり、一曲を完成させるという流れにしたい。また時に昼食後にオンラインミーティングを含め、他の仕事が入る場合もあるであろう

2386. 黒体の不気味な魚を釣り上げる夢

今日は早朝の五時半に目を覚ました。この数日間と同様に、眼が覚めた瞬間に小鳥たちの鳴き声が寝室に響き渡っていた。 起床時の時間帯はまだ闇に包まれていたのだが、そうした闇の中に小鳥たちの小さく、それでいて透き通った声が高らかに鳴り響いていた。小鳥たちがこのように早朝に鳴き始めたのは、おそらく春がもうすぐやってくるからだろう。実際に昨日はとても暖かく、春の到来を強く予感させた。 今朝方の夢を少しばかり振り返っている。いくつか印象に残っている場面があるが、それらの記憶が刻一刻と薄らいでいる。記憶が消えてしまわないうちに覚えている範囲のことを書き留めたい。 夢の中で私は、ある波止場にいた。そこで小中学校時代の何人かの友人と釣りをしていた。今日の釣果はそれほど冴えるものではなく、私たちは釣りよりもその場での会話を楽しんでいたように思う。 そろそろ釣りを終えようと思っていたところ、私のルアーが何かとても重たいものに引っかかったのを感じた。最初は海底の障害物にでも引っかかったのかと思ったが、それが鈍い動きをともなっていたために、何か大きな魚が掛かったのだと分かった。 私がリールを慎重に巻く姿を見ていた友人たちも、私のルアーに何か大きな魚が掛かったのだと気付いたようだった。そこからしばらく、私は友人たちに見守られながら、その大きな魚と格闘し、ゆっくりとだが確実にこちらの方に魚を引き寄せていった。 いよいよ海面からその魚が姿を表すとき、私はとてもぎょっとした。というのも、海面から姿を現したのは、全身が真っ黒の得体の知れない大きな魚だったからである。 体長は60cmほどなのだが、その重さが鉛のように

2385. 今朝方の夢の最後の場面

小鳥の鳴き声が依然として響き渡る土曜日の朝。このところ、毎朝小鳥の透き通るような鳴き声と共に目覚めることが多くなっている。それは朝の陽気と相まって、春のフルートのような音色として知覚される。 時刻は正午に近づいてきており、午前中の仕事を一旦ここで区切りにしようと思う。午前中は計画通りに、「デジタルラーニングと学習環境」のコースの最終試験に向けた学習を進めていた。実際にはついつい計画以上の論文を読んでしまった。 本来であれば、それよりも少ない量の論文を今日の夕方までに読み終えれば十分だと考えていたのだが、今回が三読目であるためか、読解が非常に速やかに進んでいった。とりあえず今日は試験に向けた論文を読むことはやめにしようと思う。 明日は二本ほどの論文を比較的時間をかけて読み進めていく。二本の論文だけをあえて残していたのは、これらの論文は試験のための学習ではなく、個人的な関心に沿って広く深く読んでいきたいと思ったからである。 片方は「分散知性(distributed intellgence)」に関する哲学的な考察が含まれた論文であり、もう片方はジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」という概念を取り巻く三つの異なる思想について取り上げたものだ。 この二つの論文の概略を書き留めてみると、やはり自分の関心の矢は、その他の論文で紹介されているような科学的発見事項に向かっているのではなく、科学的発見事項を取り巻く哲学的な考察にあるのだということが分かる。 明日は比較的時間をかけて、これら二つの論文をゆっくりと読み進めていきたい。その際に、過去二読した時のメモにさらに自分なりの考えを追

2384. 不思議な古書を読む夢

今朝方見た夢を思い出していると、フローニンゲンの朝もすっかり夜が明けた。起床時に聞こえていた小鳥たちの鳴き声は今もまだ静かに聞こえている。 また、ここ数日と同じように相変わらず私は、今日もバッハの平均律クラヴィーア曲集を聴いている。おそらく今日も一日中リヒテルが演奏するこの曲集を聴いているに違いない。 今日は午前中に、「デジタルラーニングと学習環境」のコースの最終試験に向けて、課題論文の三読目を進めていく。幸いにも今日と明日は休日であり、比較的時間があるため、今日に全てを読み返すのではなく、半分程度目を通すことができたらと思う。 特に重要な二つの論文については明日の朝に読むことにし、それ以外の論文からまずは読み進めていく。昨日、このコースのグループ論文を一緒に執筆している友人のハーメンからメールが届いた。 ちょうど彼に依頼をしておいたパートが完成したそうだ。添付のワードファイルを開けてみると、彼が実に素晴らしい仕事をしてくれたことがすぐに分かった。 ハーメンはアドビのフォトショップを活用し、課題の最後で提案する、対象としているオンライン学習環境に対する改善案を見事なイメージ図と共に書き上げてくれた。まだ文章をレビューしていないが、全体としての見栄えから、それは非常に良い出来のように思えた。 最終的な提出の前に、コースを担当するミヒャエル・ツショル教授からフィードバックをもらうために、私たちは現段階のドラフトを送った。ハーメンは本当に良い仕事をしてくれたと私は思った。 あとは私の方で、提出版の完成に向けて最終的なレビューを行っていきたいと思う。これがフローニンゲン大学で履修するコ

2383. 名前を思い出す夢

今朝もまた小鳥の鳴き声と共に目覚めた。時刻は六時半を過ぎ、辺りは少しずつ明るくなり始めている。また、小鳥の鳴き声が依然として外の世界に鳴り響いている。 ふと今朝方の夢について思い出す。夢の中で私は、大学時代のフットサルのサークルのメンバーと休日に大会に参加することになっていた。 所用あり、私は現地で皆と会うことになっていた。その道すがら、足を引きずりながら歩く一人の少年を見つけた。そのうしろ姿からどこか見覚えのある気がした。 私はフットサルの大会の会場に向けて準備運動がてら走っており、その少年を後ろから走って追い抜くことにした。すると、その少年は足を引きずっていたにもかかわらず、追い抜いた私の横についていこうとするかのように早歩きを始めた。そこで私は足を止め、その少年の方を見た。 私:「あぁ、やっぱりXX君の弟さんだったか。元気?」 私は、彼が一学年上の友人の弟だということにその時に気づいた。しかし彼と再会したのはもう何年振りであるためか、残念ながら彼の名前を忘れていた。私は必死にその場で思い出そうとしたがすぐに名前が浮かんでこなかった。 友人の弟:「えぇ、元気です」 私:「その足はどうしたの?大丈夫?」 友人の弟:「はい、ちょっと怪我をしてしまって。でも大丈夫です。もうじき治るとお医者さんが言ってました」 私:「それは良かった。これから学校?」 友人の弟:「はい、そうです」 私:「じゃあ、学校まで送って行ってあげるよ」 その後、私たちは彼が通う学校まで一緒に歩いて行った。いかんせん久しぶりに彼と会ったため、彼の近況を含めて様々なことを私は聞いた。するとすぐに学校に到着した。

2382. ガラクタに宿る真理

穏やかに今日も一日が終わりに近づいていく。時刻は夜の七時半を回った。 つい今しがた夕食を摂り終えた。なぜそのようなことまでここに書き留めているのだろうか。もはやこの日記は完全に一人の人間が生きた存在記の様相を濃くし始めている。 独白形式で綴られていくこの一連の日記は、たった一人の人間のために書き残されているがゆえに全ての人に向けて書かれているのだろう。自分だけのために、そして自分という全ての人のために今日も明日も日記を書き続けていく。 今日の昼食後に行われたオンラインミーティングでの対話を未だ忘れることができない。協働者の方が語ってくれたエピソードに込み上げてくるものがあった。 一人の人間が真摯に他者と向き合い、真摯にその生を全うしようとする姿勢には打たれるものがある。ミーティングが終わった後、またしても私はこの人生をたった一人で歩いているわけではないことに気づいた。 これは当たり前の気づきなのかもしれないが、私たちは往々にしてその事実を忘れがちなのではないだろうか。私もそれを忘れがちだ。 だから気づいたときにここに書き留めておくのである。真理はいつもそこにある。この世界を生きる中で、様々な誘惑によって真理を見る眼が曇らされてしまうことが問題なのだ。 西の空が黄金色の夕日で輝いている。眩しいと分かっていながらも、ついついその輝きを直視してしまう。夜の八時に近づいてきたフローニンゲンはまだまだ明るい。本当に日が随分と延びた。 繰り返しになるが、どうしても今日今この瞬間にこうして生きていることへの感謝の意を伝えたい。誰に伝えるべきか分からないのであれば、この世界全体に伝えたい。 フ

2381. どこまでも広く深まる感謝の念

小鳥とバッハ。両者はコインの表と裏の関係にある。いや、両者は一つのコインとして、一者としてこの世界に存在している。平均律クラヴィーア曲集と小鳥の鳴き声を朝から今までずっと聴きながら、そのようなことをふと思う。 書斎の窓から見える赤レンガの家々の前を通る道は、数日前から工事が始まった。工事にあたる作業員は朝の七時から働き始めている。これは毎朝私の心を強く打つ。 昼食を摂る食卓の窓からも作業の様子が見え、今日の昼食時には犬の散歩をしている人と作業員が何やら談笑をしていた。その光景を見て、私はとても幸福になった。 大げさでも何でもなく、その光景の中に人間として生きることの喜びがあった。今もまだ工事は続いており、耳を澄ませば作業員が動かす機械の音が聞こえて来るかのようだ。 先ほどのオンラインミーティングの後に仮眠を取っている時、この世界で生きていることへの感謝の念をどのように言葉にすればいいのかをふと考えていた。より正確には、感謝の対象と範囲について考えを巡らせていたのである。 ベッドの上で横たわりながら、私が毎日このように日々を充実感と幸福感を持って生きていられることに関して、私を産んでくれた両親に対する深い感謝の念が生まれた。それは一見すると、ありふれた事柄のように思えるかもしれない。 しかし、私は両親に対する感謝の念がどこまでも深まっていくものであるということに改めて気づいたのである。この世界の森羅万象は無限のホロン階層を持っている。それは両親に対する感謝の念にも当てはまり、それはどこまでも無限に深まっていくものなのだ。 言葉にならない感謝の念を持ちながら、私はこの感謝の念が深さ

2380. 感動と内面の成熟

たった今、毎日の日課である午後の仮眠を終えた。仮眠の前にオンラインミーティングがあったためか、頭が非常に冴えており、今日の20分間の仮眠はほぼグロス意識にあった。 しかし、仮眠から目覚めるか否かの最後の瞬間にはサトル意識にあったように思う。というのも、そこではサトル意識に固有の豊かな心象イメージが立ち現れていたからである。 また、不思議なことに、私はとても低いドレミファソラシドの音階の進行を聴いていた。それは確かに低い音だったが、不気味な音の進行ではなく、原初的な音の深さを伴うような世界がそこに広がっていたように思う。 米国に渡って人間の意識について探究を始めたことをきっかけに、そして三年前に日本に一時帰国していた際にエネルギーワークの実践を始めたことをきっかけに、日々の生活の中でより深い意識状態にアクセスすることが可能になった自分を見る。 それにしても今日はなんと素晴らしい天気だろうか。早朝からずっと晴れ間が広がっており、この天気は明日以降もしばらく続くそうだ。 小鳥たちの存在には本当に感謝をしなければならない。彼らはまだ早朝と同じように近くで美しい歌声を奏で続けている。 もちろん、時折休憩を挟むが、彼らは常に自分の身近なところにいて、こんなにも美しい声をこちらに届けてくれる。それに応えようとしない人間はいるだろうか。 仮にそれに応えられないようであれば、自己を超えた存在からの促しに応えられるはずもない。さらには、人生から投げかけられた問いに応えていくということもできないに違いない。 先ほどのオンラインミーティングの中で、感動と発達現象に関する興味深い話題が取り上げられた。人

2379. 春の入り口から

早朝から相変わらず小鳥の優しく美しい鳴き声が聞こえて来る。フローニンゲンも少しずつ春らしくなってきた。 数週間前にも一度春らしさを感じることはあったが、それは冬と春の最後の狭間の時期であり、結局あの時はまた冬の気候に逆戻りした。だが、季節はそれを乗り越え、いよいよ春に向かって確かな躍動を始めている。 もうこれが春の入り口なのだと疑わない自分がいる。窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえ、書斎の中には昨日に引き続きバッハの平均律クラヴィーア曲集が鳴り渡っている。 どうやら私はスヴャトスラフ・リヒテルの演奏するバッハに魅了されているようだ。生命の静かな情熱を感じさせてくれる春のこの陽気、小鳥の鳴き声、バッハの音楽があれば、私は今日もまた前に一歩進めるような気がする。 今日は午前中に、協働執筆の話をいただいている書籍の原稿を読んでいた。その内容にとても感銘を受け、これから本格的に関与させていただきたいと思った。 私は今のところ単著を執筆する気はない。しかし共著であれば、人と組織の成長に関する書籍を今後も世に送り届けていきたいと思う。 今はまさに二つの領域の異なる出版企画に関与させていただき、まだ具体的に動き始めていないがもう二つ出版企画がある。できれば今年か来年の初旬をめどにそれらの四冊を世に送り届けることができたらと思う。 とにかく様々な方たちとの協働を通じてこの世界に関与していくことと、徹頭徹尾一人で進めるライフワークを進めていくことに従事し続けたい。後者の日記の執筆と作曲も、実質的には他者の隠れた関与が常にあることを忘れてはならない。日記も曲もこの世界における他者との交流によって生み出

2378. 研究と自己に伴う揺れ

今日は風がなく、とても穏やかな一日になりそうだ。目の前に見える赤レンガの家の煙突から白い煙がゆっくりと上空に立ち昇っている。 今朝のフローニンゲンの空は本当に綺麗だ。遠くの空は薄紫色に照らされていて、手前の空はライトブルーの様相を呈している。 今日は久しぶりにノーダープラントソン公園へランニングに出かけようと思ったが、昨日一時間ほど歩いたのと、今日は少しばかり時間をかけて取り掛かりたいことがあるため、今日は自宅でトレーニングをすることに留めようと思う。来週は天気が良い日が続くようなので、また来週にランニングに出かけたい。 昨日は、ザーニクキャンパスに出かけ、そこで現在行っている研究に関するミーティングを行った。この研究はミヒャエル・ツショル教授と主に進めているものだが、研究対象がMOOCということもあり、またフローニンゲン大学のMOOCチームからデータを提供してもらっているということもあり、研究インターンでお世話になった二人の博士からも引き続き助言をいただいている。 昨日のミーティングはまさにその二人と行ったものだ。ミーティングが終わり、再び研究に取り掛かりたいという意思が強くなり、指摘されたいくつかの事柄に対して、早速修正を加えるようにした。 具体的に手を動かして分析を行ったり、文章を執筆したというよりも、修正案をあれこれと考え、それをメモとしてまとめていたと言った方が正確だろう。明日は研究に充てる時間が幾分取れると思うので、これらの修正案は明日に実行したいと思う。 昨日のミーティングを改めて振り返ってみると、研究というのは小さな揺れが不可避につきまとうものなのだと思う。もち

2377. 二つの印象的な夢

ここ数日間と同様に、今日もまた小鳥たちの鳴き声によって目覚めた。実際には、夢の印象的な場面の終わりと共に目を覚ましたのだが、目が覚めてみると、小鳥たちの歌が辺りに鳴り響いていた。 これは春の訪れなのだろうか。起床と同時に天気予報を確認してみると、確かに今日から暖かくなっていくようだ。早朝六時の今の気温は1度だが、昼間は10度を超す。明日の最高気温は20度に到達するようだ。 いよいよフローニンゲンにも春がやってくるようであり、小鳥たちの鳴き声はやはりそれを伝えているのだろう。サマータイムに入ってからもうすぐ一週間となる。夜の日は随分と延び、日の出の時間も早くなっている。六時の今においても、辺りは真っ暗闇ではなく、ダークブルーに変わりつつある。 今朝方の夢は、自分の無意識の中にある攻撃性を示すような内容だった。なぜだか私はサッカーの日本代表に同行しており、そこで何らかの観点からのアドバイザーを任されていた。 監督は随分と前に指揮を執った外国人の方だった。次の試合に向けて選手たちが準備をしている最中、監督が次の試合のスターティングメンバーを発表した。 そのうち五名ほどがどうやらカギを握る選手のようであり、この国際試合では事前にそれらの選手を指定選手として申請しないといけないことになっていた。一風変わったルールである。 その五人の中に、私の小中学校時代の友人が一人入っていた。この申請は、監督と当の選手が申請所に出向く形で行われる。 申請の当日、私は監督に同行し、その申請に立ち会った。今度対戦する相手は欧州のどこかの国であり、なかなかの強豪国だった。 申請会場は実際に試合が行われるスタジ

2376. 研究の軌道修正

少しばかり鬱蒼とした雨雲が空を覆っているが、今は雨は降っていない。今日は午前中に、研究インターンを通じて行った分析結果をジャン・ディエナム博士とエスター・ボウマ博士に報告するために、自宅から少しばかり離れたザーニクキャンパスに向かった。 自宅を出発してみると、やはり今日は気温が低いことを実感した。今日からはヒートテックを着用しないことにしたが、相変わらずマフラーと手袋は必要であった。しかし、明日からは気温が上がってくるらしい。 明日以降はもうマフラーも手袋も必要なくなりそうだ。二人の博士とのミーティングは、前回と同様にとても有益な意見交換の場だった。 二人はいつも多くの建設的な批判を私の研究に投げかけてくれるため、研究を前に進めていく上で非常に有益だ。一方で、時にあまりに細かな点を指摘されることもあるため、その点はあまり真剣に取り扱わないようにしている。 彼らの指摘することを全て聞いていると研究が脇道に逸れてしまうことになりかねない。もちろん、細かな点の中でも非常に重要なものもあることは確かなので、その辺りの選別をしながら彼らの意見を聞くようにしている。 また、この研究に関してはミヒャエル・ツショル教授からも指導をしてもらっているため、両者の意見が時に食い違う場合に、彼らの意見を昇華させたソリューションを提示することが私に求められることがある。 これは確かに高度な課題だが、それも今のところなんとかうまくいっている。ディエナム博士とボウマ博士は今回の私の研究をジャーナルに載せることを望んでいるようだ。これはとても有り難いことである。 そうした彼らの思いもあって、私への要求と期待が

2375. 博士課程での研究に向けて

七時を迎えてからようやく辺りが明るくなってきた。今日は薄っすらとした雨雲がフローニンゲンの上空を覆っている。 今この瞬間は雨が止んでいるようだが、インターン先のオフィスから帰ってくる頃からちょうど雨が降り始めるようだ。風も少しばかり強く、目の前の裸の街路樹がいつもより激しく左右に揺れている。 この時間帯でもすでに通勤や通学に出かける人たちの姿を通りに見かける。私もこれから一日の仕事を始めたい。 先ほど一日分のコーヒーを入れた時、再び作曲に関する研究について考えが及んだ。ここ最近の私は、本当に作曲について考えることが多く、その研究に強い情熱を注いでいるようだ。 今のところ、作曲は完全に自分の趣味となっているが、趣味と学術研究を結び合わせることができたらどれほど幸せかと思う。ここで述べている学術研究というのも、仕事の意識を持って行うのではなく、自らの純粋な探究心にのみに従う形で行われる研究だ。 それを行うためには、現在の学術世界ではなかなか難しいこともあるだろうが、自分の取るべき立場を絶えず明確にし、どのような立ち位置で大学に所属するかによってそれは十分に実現可能だろう。兎にも角にも、作曲技術という個別具体的な能力領域の発達プロセスとメカニズムが知りたくなってきた。 とりわけ、作曲理論に内包されている諸々の知識領域の理解力がどのようなプロセスとメカニズムで高まっていくのか、そしてそれらの理解力の高まりが具体的な作品の中にいかように発現していくのかということに強い関心がある。 もはやこのテーマを博士論文として取り上げてもいいのではないかと思い始めている。あと数か月後に、私は三つ目の修

⭐️【お知らせ】Back Number Vol 42(記事821-840)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事821から840に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードはこちら:Back Number Vol 42 目次(Back Number Vol 42) 821. グループ課題と研究の進捗 822. 論文で取り上げる三つの研究手法について 823. 近づくサマータイムと第二弾の書籍の進捗 824. 天だけが 825. 第二弾の書籍の修正・加筆 826. 怒涛の休日の後 827. 冷静さを取り戻すこと 828. 精神と身体の浄化 829. オランダでの三年目の生活について 830. 無限の質量を持つ塊と永遠的な爆発の中で 831. 入力と出力への渇望感 832. 論文の進展とさらなる探究に向けて 833. 真の探究活動と無条件の愛 834. 書くことによって形作られる日々と自己 835. 研究の進捗状況 836. ここからの十年:神保町での古書店の記憶から 837. 時の経過に応じるノードの伸縮とリンクの関係性の変化 838. メンタルモデルの構築について 839. ダイナミックシステムに関する理論モデルの構築について 840. とある一日の流れ

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