発達理論の学び舎

 Blogではオランダでの探究・創作生活の様子を日々共有しています

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    1878. 此岸から彼岸へ

    1878. 此岸から彼岸へ

    雨音が激しくなり、今日も天気が優れないことを知る。時刻は七時を回ったが、相変わらず外は闇に包まれている。 闇の中、雨が書斎の窓ガラスにぶつかると音と、時折車が通りを走る音が聞こえる。先ほど私は、昨夜見た夢について、その内容を覚えている範囲で書き留めていた。 あの夢の中心テーマは一体何だったのだろうか。私は運河を越えて、対岸に向かおうとしていた。なぜなら、向こう岸に私の目的地である実家があったからだ。 しかし、先ほどの日記に書き留めていたように、夢の中の私は流れの激しい運河を越えていく手段がなかった。厳密には、不思議な浮き輪を体に巻きながら空を飛んでいくことができたのだが、その浮き輪が途中で機能しなくなる恐れがあり、結局対岸に向かうことを躊躇していたのだ。 しばらく対岸を眺めた後、私は来た道を戻り、再び無人のバスに乗り込んだ。だが、結局そのバスも対岸に向かって走っておらず、私はまた同じ場所でバスを降りることになった。 あのバスはどうやら、同じ道をぐるぐると回り、乗客をあちら側の岸に連れて行くことを目的にしていないようだった。人を飲み込むような激しい
    1877. 対岸に向かう夢

    1877. 対岸に向かう夢

    早朝、起床と共に、小さな雨音が聞こえてきた。今日はどうやら雨のようであり、昨日の天気予報からすると、雪が降るかもしれない。 今日は六時半から、一日の活動を静かに始めた。活動の開始は、自分が生きていることの実感を確かめるためにあり、自己の存在を証明するためにあるように思える。 昨夜の夢の内容が、そっと自分の意識の中に立ち現れる。夢の中で私は、瀬戸内海にほど近いある町にいた。 その町は、実際の実家の近辺のようでありながらも、ヨーロッパ風の町並みをしていた。私は一台のバスに乗り込み、瀬戸内海の方に向かった。 バスに乗ってみると、そのバスは無人だった。運転手はおらず、乗客も私以外にいない。 誰もいないバスは、私がそれに乗り込むと、静かにドアを閉め、ゆっくりと動き始めた。私が降りる予定の場所は、名前のわからない通りと「ヴァン・ゴッホ通り」と名前が付けられた通りが交差する地点だった。 ゆっくりと走るバスの窓から、私は景色を眺めていた。だが、町にも人影は見られなかった。 人がほとんど見えないながらも、確かにその町には人が住んでいる気配があった。ちゃんと店もあり
    1876. トマトとブルーベリーから

    1876. トマトとブルーベリーから

    大学からの帰り道に行きつけのチーズ屋に立ち寄り、今日は若いチーズを購入した。先日訪れた時は、その店に置かれている一番古いであろう七年物のチーズを購入していたが、今日は対極に振り、非常に若いチーズを購入した。 七年物のチーズはこれまでこの店に置かれていなかったものであり、大変珍しいものだった。長い時間をかけて発酵されたチーズ固有の深い味わいがあったのを覚えている。 今日も同じく古いチーズを購入しても良かったのだが、なぜだか私の目にはその若いチーズが輝いて見えた。 私:「あれっ、このチーズは前から置いてましたっけ?」 店主:「ええ、置いていたわよ」 この店を切り盛りする二人の女性の店主のうち、一人の方がそのように答えた。私はてっきり始めてみるチーズだと思っていたのだが、どうも私の認識の誤りのようだった。 そのチーズが若いだけあってか、他のチーズと輝きが違ったのだ。これは文字通り、物理的な輝きである。 その若いチーズには薄黄色い輝きがあったのだ。私はその光に惹かれて、他のチーズには一切目をくれず、そのチーズを少し試食させてもらうことにした。
    1875. やってくる冬への高揚感

    1875. やってくる冬への高揚感

    今日は午後から雨が降り始め、今もまだシトシトと雨が降り続いている。今日は午後四時半を過ぎると、辺りは既に闇に包まれ始めた。 今日の午後に「応用研究手法」のコースの第三回目のクラスに参加した。今日は前回に続き、“differene-in-difference”という研究手法を取り扱った。 このコースを履修しているのは、ジョージア人の友人であるラーナと私だけしかいないため、クラスではいつも密なディスカッションをロエル・ボスカー教授と共に行うことができる。ボスカー教授は非常に丁寧に一つ一つの概念や研究手法の論理を説明してくれるため、いつも有り難く思っている。 今日のクラスでは、必読論文に対して私が事前に提出した四つの質問を取り上げてくれた。今日のクラスの大半は、私の質問をもとにディスカッションが進んでいったと言っても過言ではない。 前回のクラスから、パワーポイントを用いた説明ではなく、フリップボードを用いてボスカー教授がその都度私たちの質問や意見に対して詳しい説明をしてくださるようになった。基本的にこのクラスは、教育科学におけるいくつかの重要な研究手法
    1874. 言葉と音の光に包まれて

    1874. 言葉と音の光に包まれて

    日々、自分の内側に湧き上がる現象を絶え間なく文章として書き留めることを始めてから、少しばかりの月日が経った。気づかないうちに、それを行うことが日々の習慣の一つとなり、それはもはや習慣を超え始めている。 絶え間なく文章を書き続けることが、この地上で生き続けることと全く等しくなり始めている。言葉を紡ぎ出し続けることによって、私は自分の認識世界を絶えず更新しているかのようである。 言葉を生み出すことは、この現実世界を生み出すことに他ならず、新たな言葉を日々生み出し続けていくことは、この現実世界を日々新たなものにしていくことに他ならないだろう。 言葉を紡ぎ出す過程の中で、自分がこの世界に生きていることを真に感じ、その言葉がまた新たな現実世界を作り出していく。言葉の恩恵を受けながら、言葉を紡ぎ出すことによって、日々の中に宿る充実感や幸福感の原子を捕まえていく。 充実感や幸福感の原子は、実は日常生活の基底に、水や空気のように存在しているものなのだ。本来、この地上で生きる充実感と幸福感は、この地上の遍くところに充満している。 私たちの眼は往々にして曇らされてい
    1873. 豪華客船の旅

    1873. 豪華客船の旅

    今日も書いて作る一日が始まった。五時半あたりに起床し、今日は六時から探究・創作活動を始めた。 この地上で生きることの喜びを心の底から感じ、それを探究と創作の糧にしたい。昨日も改めて自分は、文章を書き、音楽を作ることを通じて日々を生きていきたいと思った。 文章にせよ、音楽にせよ、それらを限りなく日常の生に近づけ、生の根幹からそれらが生まれてくるようにしていかなければならないと思った。それが可能になるのであれば、その他のことは何も望まない。 日常の生に根ざす形で文章や音楽を生み出していくためには、やはり日記的な形式が最も望ましいのではないかと思う。文字どおり、日記としての文章を書き、日記のように音楽を作っていく。 日々が日記のようであってほしい。日々が日記を綴る過程の中で綴られていくのである。 日々は綴られるものであり、日々は綴っていくものなのだ。この生を生きるというのは、その瞬間に地上で生きていることの喜びを感じ、それを何らかの形として表現していくことなのではないかと思う。 もしかすると私は今後、日記と曲を書くことだけに従事するような生活を送り始め
    1872. 自己超出と時間超出

    1872. 自己超出と時間超出

    朝は八時半頃にようやく明るくなり、夜は五時を過ぎるともう真っ暗になり始めた。今、この日記を綴っている私の目には、真っ暗闇の世界が見える。 昼食後の仮眠を通じて、一年の持つ重みについて考えを巡らせていた。その思考の流れは一旦落ち着いたが、再びそれに似た思考が動き始めている。 思考の残滓からの新たな思考の誕生。新たな思考によると、そういえば昨年の夏は、私はまだ日本にいたことを思い出した。 日本を出発したのが昨年の八月であったため、昨年の夏の半分はまだ日本で過ごしていたのだ。昨年の夏を人生の時間軸の中に置いてみると、それはそれほど遠くなく、むしろ近くにあると言えるだろう。 しかし私はどうも、昨年の夏というものが遥か遠くにあるような感覚がするのである。一年が持つ重み、それは時間を押し広げるかのような特性を持っているように思えて仕方ない。 一年はとても重いのだが、一年前がこれほどまでに遠くに感じるのは何故なのだろうか。 欧州での生活を始めて以降、自己を超出する体験に遭遇する頻度が増している。先日もそのような体験があった。 自己認識が自己認識をはみ出して
    1871. 一年の重み

    1871. 一年の重み

    今日は午前中から昼食後にかけて、ジョン・デューイの全集を読み進めていた。気づけばいつの間にやら第一巻をすべて読み終えることができた。 少なくとも四日はかかると思っていたのだが、結局二日で一読目を読み終えた。デューイは教育のみならず、他の分野においても哲学思想を打ち立てているが、やはり教育哲学に関するものが最も感銘を受けた。 書き込みをする箇所や、立ち止まって考えることが最も多かったのは、やはり教育哲学に関する章であった。デューイは芸術や美学に関してもいくつか論文を執筆しており、それらが一巻に掲載されていた。 そこでは、今の私に響くものはあまりなく、また違う時期に読み直す必要があるように思えた。美学に関しても、それを細分すると様々な領域の美学が存在しており、デューイはそれほど音楽については語っていなかった。 今後美学関連の書籍や論文を読む際には、まずは音楽に特化したものを選びたいと思う。テオドール・アドルノを始め、何人かの哲学者が音楽に関する美学について思想体系を持っていることを少し前に知ったため、今後徐々にそうした哲学者の美学に関する思想に触れて
    1870. 時空間を超えるゴッホの手紙とハーモニー

    1870. 時空間を超えるゴッホの手紙とハーモニー

    昨夜は夕食後に、ゴッホの手紙を少しばかり読み進めた。その進みは遅いが、毎日少しずつゴッホの手紙を読み進めていくのは、私の中での一つの楽しみになっている。 ゴッホの手紙を読んでいる最中は、今から百年以上も前のゴッホの時代にいるかのような感覚に襲われる。手紙を含め、文章が生み出す空間は時間を越えうる。 また、現在自分がいる物理的な空間を超えて、文章が生み出す空間へと参入している自分を眺めていると、文章は空間も超えていく。 ゴッホの手紙を読み進めていると、ゴッホが弟のテオをどれだけ信頼し、まさに二人三脚で画家としての道を切り開いていったことがわかる。ゴッホは常に自分自身のみならず、手紙を通じてテオと対話をしていたのである。 自分自身で行う一人称的対話と他者を通じた二人称的対話が、画家としてのゴッホ、そして人間としてのゴッホを育んでいった。全六巻のうち、今は第一巻を読み進めているが、一連の手紙を読み進めていく中で、ゴッホの画家としての内面的成熟過程と絵画技術に関する発達過程を見て取ることができるだろう。 とりわけ私は、絵画に関する、いや美に関するゴッホの
    1869. 創造的中毒症状と美的感覚

    1869. 創造的中毒症状と美的感覚

    昨夜も就寝前に作曲実践に打ち込んでいた。現在読み進めているテキストが秀一であり、具体例の豊富さと、その具体例に紐付いた作曲エクササイズを進めていくことが何よりも楽しい。 詰め将棋のテキストやプログラミングのテキストにのめり込んでいる感覚と同じだろうか。より端的に述べてしまうと、ゲーム的な要素がそこに色濃くあると言えるかもしれない。 昨今、教育研究や教育実践の中で、ゲーム的な様子を学習に取り込んでいく「ゲーミフィケーション」が注目を集めているが、ゲームが喚起する喜びの感情には、私も関心を寄せている。 しかし、そもそも学習には、ゲームにも勝るとも劣らない喜びの感情を喚起するものが内在しているはずであり、それをうまく刺激できないこれまでの学習観や教授法に問題があったのではないかと言えなくもない。 私は今、成人期を迎えてから改めて、学習が内在的に持つ喜びの感情を常に感じながら学習を進めていく日々を送っている。昨日も作曲実践をしながら、作曲実践が持つ中毒症状について考えを巡らせていた。 それは肯定的な中毒症状であり、「創造的中毒症状」とでも呼んでいいような
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