
1678. ショパンの望郷の想い
雨がポタポタと屋根に落ちる音が聞こえて来る。寒い日曜日の朝。 空一面が真っ白い雲に覆われている。それらは、黒い雨雲ではなく、うっすらとした雲の膜であり、雲の向こう側を見ることができるのではないか、という期待を起こさせる雲だ。 しかし、それらは雨雲には変わりなく、白じろとした雲がまた、早朝の寒さを強め、どこか物悲しさを生み出している。
六時に起床して以降、ショパンについてずっと調べている。今日の午前中に予定していた仕事に着手することなく、一切をそっちのけで、ショパンの生き様について調べ続けていた。そんな休日があっていいのかもしれない。
早朝から、260曲、19時間に及ぶ、ショパンの全集を聴き始めた。これまでショパンの音楽を何気なく聴いているだけであり、なぜそれほど強い関心を持たなかったのか、とても不思議に思う。 それはもう、そういう時期だったとしか言いようのないものである。
外の世界には多くの雨粒が地上に降り注いでいるのに、自分の内側の世界から言葉がうまく出てこない。起床した直後に、今朝の段階では言葉がうまく生まれてこないだろう、という

1677. フレデリック・ショパンとの出会い
いつもとは少しばかり異なる一日が始まった。そんなことを思わせる日曜日の始まりだった。 今朝は起床直後に、突如として、ハイドンの残した楽曲について気になっていた。起床直後に歯磨きをしている最中も、歯磨き後に身体を目覚めさせる運動をしている最中も、ずっとハイドンの音楽が頭から離れることはなかった。 そのため、今日の仕事を始める前に、ハイドンのピアノ曲でいい楽譜はないかを探していた。いくつか候補が見つかったところで、ハイドンが多く残したピアノソナタの形式ではなく、曲の長さが短いものを探していたところ、偶然ショパンの楽譜を見つけた。 中身を一瞥すると、何か光るものがあった。724ページに及ぶが、 “Chopin: The Ultimate Piano Collection”を購入してみようと思う。 この分厚い楽譜には、「マズルカ」「バラード」「ノクターン」「前奏曲集」「練習曲」「ポロネーズ」など、三曲のピアノソナタを除けば、ほぼ全てのショパンのピアノ曲が収録されているようだ。 ちょうど先週に、ショパンが書き残した一連の手紙が収録された書籍を購入していた。

1676. 沈みゆく夕日の中で
晴れ間を覗かせていた太陽が、西の空に沈みつつあるのを眺めている。夕方、突如として、天気雨がフローニンゲンの街に降り注いだ。 それは、天から地上にまっすぐに降り注ぐ雨であった。太陽の光が雨滴に反射し、美しい輝きを放っている。 強い風が吹くことなく、雨が天から地上にまっすぐに輝きながら降り注ぐ様子は、不思議な恍惚感を引き起こした。激しい雨が降り始めたのと同時に、私は思わず書斎の窓の方に駆け寄った。 何も考えることなく、雨の振る姿だけを見つめていた。雨の勢いが収まるまで、私はその場にいた。 雨が自分になることは不可能だが、自分が雨になることは可能だと思った。意識の性質について考えを巡らせたことがある人には、その意味がきっと伝わると思う。 雨は私たちになれない。だが、私たちは雨になれる。 フローニンゲンの西の空に沈んでいく夕日が、神々しい黄色い光を発している。赤紫の夕日ではなく、黄色く輝く夕日は、バッハの音楽のようである。
夕方の仕事がひと段落したため、ソファに腰掛けて、モーツァルトとシューベルトの楽譜を眺めていた。自分の作曲に参考になることは何かな