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1343. 夢とMOOCと人工知能

グレン・グールドが演奏するモーツァルト——グールドが毛嫌いしていた——のピアノソナタ全集が終わりを告げ、バッハ——グールドが敬愛していた——の楽曲全集が始まりを告げた。ここ数日間、グールドが演奏するバッハを何時間聴いただろうか。 書斎にいる間はずっと聴いていたから膨大な時間に及ぶだろう。それでもまた聴きたくなるあの不思議な魅力。 昨年の夏、ライプチヒを訪れた際に足を運んだバッハ博物館の記憶がにわかに蘇る。同時に、バッハ博物館を訪れる前に足を運んだ、シューマン博物館とメンデルスゾーン博物館で体験したあの振動を伴う美的感動を思い出した。 あの夏の記憶の断片が、一つのまとまった記憶として再想起される時、また一歩自分の内側で何かが深まった感触がある。 夕方の休憩中、今朝見た夢についてもう一度振り返っていた。そして、夢を振り返ることそのものについて考えを巡らせていた。 私は、夢の記憶が残っている時にはできる限りその夢を書き留めておくようにしている。様々な目的があるが、それは一つに、夢の中の記号的意味を自分なりに明瞭なものにすることが挙げられる。 夢の世界は、自然言語では捉えきれないほどの記号言語で満たされている。そうした記号言語の意味を一つ一つ可能な範囲で自分なりに解きほぐしていくことが、内面のシャドーの理解を促すのみならず、内面世界そのものの成熟を促すことにつながると思うのだ。 日々の夢を書き留めることは、シャドーワークの実践につながるのみならず、シャドーを通じた自己理解と自己成熟を促していく。興味深いのは、内面の成熟に合わせて夢の性質が変化しているのかしていないのか分からないこと

1342. ウィルバーの新著と固有の霊性

午前中、少しばかり眠たかったので、仕事を中断し、寝室に向かい、しばらく仰向けになって休息することにした。 確かに昨夜は思考が興奮状態にあり、寝つきが悪かったのだろう。そのせいもあり、午前中に仮眠を取り、仕事の速度をいつもよりゆったりとしたものにすることにした。 30分ぐらいの時間が経ったであろうか、突然、閉じられた瞼に白い強烈な光を感じて目を覚ました。寝室の窓から外を眺めると、光など感じられないほどに、空が雲で覆われていた。 白い閃光のような光を知覚する体験についてぼんやりと考えながら、再び書斎に戻った。すると論文を執筆することについて、少しばかり考えが前に動いた。 やはり論文は、探究したいテーマを自ら選び、探究対象の現象を解明したいという止むに止まれぬ衝動に基づいて執筆していくべきものであるため、そこに他者の視点を入れてはならないと思った。 真っ先に求められるべきものは、探究に伴う私的な喜びであり、対象の深くへ入っていく喜びの中で文章を建築していくということの喜びである。論文を他者のために書こうという考えや何かに直接的に役立てようとする考えは、単なる欺瞞だろう。 社会の進展や学術の進歩に繋がり得るというのは結果であって、そもそもそれを論文執筆の動機においてはならない気がする。動機の出発点は、徹頭徹尾自分の中になければならない。 動機の根源は、非常に私的なものでなければならない。でなければ、内側の止むに止まれぬ衝動に基づいて論文を書くことなどできないだろう。 自分の内側から湧き上がる、止むに止まれぬ衝動に基づいて書かれない論文は、時の重みに耐えることなどできはしない。それは一瞬

1341. 顕在意識下の自分と無意識下の自分の齟齬

夜にもかかわらず人があちこちに溢れる東京の街を歩いている夢。どうやら私は、有名な二人の日本人の格闘家の試合を観戦するために、人ごみをかき分けながら東京の街を歩いているようだった。 ガラス張りの三階建ての建物が、その試合の会場だった。そもそもこの街は渋谷だろうか。見たことのある風景がそこに広がっている。 この風景は、欧米の都市の感じとは異なっており、やはり東京のそれであり、渋谷のそれだ。試合会場の建物が視界に入ると、すでに入場者が辺りに溢れていた。 いや、よくよくそれらの群集の数を考えてみると、明らかに会場の収容量を超えている。おそらく、彼らは会場の外に取り付けられた大型スクリーンを見ながら、試合のパブリックビューイングを行うためにそこにいるのだろう。 会場を遠目から眺めながら、私はそのようなことを考えていた。会場に群がる人々ではなく、自分自身について改めて考えてみると、そういえば観戦チケットなど持っていないことに気づいた。 どうやら、私もパブリックビューイングをするらしい。今回の試合に関して、二人のうちどちらを応援すればいいのか少しばかり戸惑う。 自分の心の中で、一応どちらを応援するかを決めてから、会場の近くに到着した。すると、ガラス張りの建物の最上階に、自分が応援しようとしている格闘家がウォーミングアップをしている様子が見えた。 同時に、もう一方の格闘家が二階でウォーミングアップをしている様子を確認した。観戦チケットを持っていなかったのだが、一応その建物の中に入ってみることにし、一階から四列ほどの大きなエスカレーターを登っていくと、二階が試合会場らしかった。 二階のトイレに立

1340. 意味への渇望と意味への意志

今日は五時半に起床した。起床直後の空は薄い雲に覆われていた。朝日が差し込むことはなく、どこか神妙とした一日の始まりだった。 朝日が差し込む一日の始まりと朝日が差し込まない一日の始まりは、これほどまでに感覚的な差を自分にもたらすのだということを知る。起床直後、私は少しばかり戸惑いの感情にぶつかった。 それは、これまでの日々と同様に、読みに読み、書くに書くという一日を送ることに対してだった。そのような形で今日という一日をこれから送るということに、一瞬ひるむような思いだった。 しかし、起床直後の日課である身体運動をしながら、ゆっくりと身体を目覚めさせていると、私にはそのような毎日の過ごし方しかできないことを知る。読みに読み、書きに書くという日が今日もまた始まったのだ。 一瞬のためらいと一瞬の疑い。それらは自らの生き方を再確認し、方向付けていくために不可欠なものなのかもしれない。だが、このためらいと疑いの念を木っ端微塵にする形で進んでいきたい。 奇しくもそれは、昨夜の就寝前にも考えていたことであった。ためらいと疑いが生じる背景には、やはり今の私がまだ論文を書くことの理由と意味を明瞭なものにしていないからだろう。 読みに読み、書きに書くというのも、全ては論文の執筆につなげていくためのものである。確かに、読みに読み、書きに書くということの背後には、論文執筆以外にも、純粋にそれらの行為への没頭を大切にしているということがある。 だが、自らの仕事が何かを考えた時、それらの行為の産物は、やはり論文なのだ。行為の産物としての論文の意味、そして論文を書くことの意味をより明瞭なものとしたい。 行為と産

1339. 人工知能の探究と論文創作について

夕食後、就寝前に向けて、本日最後の仕事に取り掛かる。その前に、私は昨日自分の身体を包んだ、月の引力に導かれた満ち潮が依然として引いていかないような感覚について少しばかり思い出していた。 昨日の夕方からそのような感覚がずっと自分の内側に残っていた。それは言葉の形として外側に出ようとしていることがわかっていたので、なんとか言葉を当てながら、それをあるべき形であるべき場所に生み出そうとしていた。 しかし、その試みは難航し、なかなか思うようにことが運ばなかった。見方によっては、それは言葉を当てる試みの失敗であるが、見方によっては、自分の内側に絶えず外側に出ようとする何か根源的なものがあるということの印でもあった。 私はこの根源的なものを大切にしたい。それが自分の表現活動を支えるものであるし、それが自らを深めていくための養分なのだ。 望むのは、それが枯渇することなく永遠に沸き立つことである。この絶えず沸き立つものに全てを委ね、ただそれをあるべき形であるべき場所に生み出し続けることを試みていくこと。これが何よりも大切である。 人間の知性に関する探究を深めれば深めるほどに、ここ最近の私は、人間の知性が生み出した人工知能について関心を寄せている。人工知能の存在は、現代社会においてとりわけ重要なものであり、それは教育・政治・経済など幅広い領域に関わり、それらの領域を通じた社会実践に関わるものである。 昨日も、今の私が人工知能の探究に向かっているのは社会からの要請である、という考えが湧いていた。それと向き合わざるを得ない状況であり、それと向き合いたいという強い思いを含む状況。 両者の状況の混合物が

1338. 自己の主題を求めて

怒涛の流れ。昨日と今日は、自分の内側におびただしい量の洪水が途轍もない勢いで流れ込んでくるかのようであった。 それをもたらした要因の一つは、ゼミナールを通じて多くの方と触れ合ったことにあるかもしれない。夕方、窓の外から景色を眺めると、白い雲と薄黒い雲が混じり合うような空模様が広がっていた。 そして、今も私はその空を眺めている。窓から見える景色の中を、一羽のカラスが左から右へと横切り、すぐさま、一羽のハトが右から左へと横切っていく。左右白黒。 午後からの仕事を終え、私は少しばかり休憩を取ることにし、休憩の友として、辻邦生先生の『モンマルトル日記』を読んでいた。これは、辻先生が二回目となるフランス滞在時代の日々が綴られた日記である。 1968年から1969年の一年間の日々が綴られている。辻先生の文章を読むと、時折、生の歓喜や情熱などが自然と自分の内側から滲み出てくることがある。今日もそうだった。 辻先生が若い頃、ドイツの文豪トーマス・マンの作品を熱心に読んでおり、中でもマンの私生活に触れられた日記を読むことに心をときめかせていたことがあった、という記述を見つけた。マンの日記から多大な影響を受け、日々の探究生活について執筆している辻先生の日記に対して、今この瞬間の私が心を打たれているというこの事実に、私はただただ感動していた。 私は決して一人で生きているわけでも、一人で探究を進めているわけでも決してないのだという当たり前の事実。これをもう一度眼前に突きつけられたような思いになり、同時にそのことが私をひどく感動させた。 徹底的に独りであり、完全なまでに独りではないということが、どれ

1337. メタ理論や日本的発達理論に関する雑感

午前中、発達心理学の開拓に多大な貢献を果たしたジェームズ・マーク・ボールドウィンと記号論を提唱したチャールズ・サンダース・パースの思想に関する論文を読んでいた。両者の思想から得るものはいつも多く、二人が書き残した全集は私にとって非常に貴重な文献である。 二人の巨人は、ともに多様な学術領域を横断し、晩年においてそれらの領域を統合するようなメタ理論を提唱することに尽力していた点が共通している。とりわけ、ボールドウィンの晩年は、キャリアの前半期で残したような発達段階モデルを超えて、人文科学と生物学などを架橋するメタ理論を提唱し、包括的な発達理論を提唱している。 彼らの仕事を見ていて重要だと感じたのは、メタ理論の提唱が単なる複数の領域間の架橋に終わらない、ということである。つまり、彼らが提唱したメタ理論は、単純に複数の学術領域をつなぎ合わせるだけではなく、それぞれの領域固有の限界や盲点を指摘しながら、個別個別の領域のさらなる発展に寄与していくという特徴を有している。 要するに、それらのメタ理論には、ある種、個別領域の進展を促す作用と規制的機能を持ち合わせているのである。中でも、この規制的機能というのがカギを握るように思えて仕方ない。 カート・フィッシャーの理論でも指摘されていることだが、複数の知識領域に習熟し始めると、それらを一つの統一的なシステムに束ねようとする衝動のようなものが芽生える。その衝動に従いながらさらに実践や鍛錬を深めていくことによって初めて、「メタシステム段階」が立ち現れる。 レクティカでの経験やこれまでの発達測定の経験上、メタシステム段階に到達している人の言語には、堅

1336. もう一つの夢

激しい感情のうねりがまだ消えない。それは今朝方に見た夢の影響だろう。 今日は昨日に引き続き、これからまたオンラインゼミナールのクラスがある。それまでに少しばかり気持ちを落ち着けたいと思う。 それにしても、日本に一時帰国したあの夢の印象はとても強いものであったと今でも思う。今日は五時に起床し、すぐさまその夢について文章を書き留めておいたが、やはりまだ完全に言葉になっていないものが内側にあることに気づく。 実は、あの夢の前にもう一つ別の夢を見ていた。夢の中の私は、外の世界と遮断された狭い部屋で生活をしており、その場所はまるで監獄の独房のようだった。 いや、実際に夢の中の私は前科があるようだった。窃盗罪。そのような罪を持ちながら生きているのが夢の中の私だった。 その狭い部屋には窓などなく、外の世界の様子は一切わからない。唯一外側の世界と交流を持てるのは、その部屋の壁にある、郵便物の受け入れのための隙間と飲食物が入る隙間の二つだけだ。 何もない部屋の中でじっとしていると、母方の祖母が私の部屋を訪問しに来てくれた。二、三ほど言葉を交わし、再び私は一人になった。 私の頭の中には、たった一つのことしかなかった。前科を背負ったまま、米国のあの大学の客員研究員になれるのかどうか、ということだった。 この社会で背負った罪は一生消えないということの重みを感じていた。罪の重みを背負いながらでも、私はどうしてもその大学で研究を続けたいという思いに駆られていた。 時間としても短く、展開もほとんど無いそのような夢を私は見ていた。だが、この夢が私に示唆していることは多岐にわたっていることに気づいた。 それらを

1335. 久しぶりの一時帰国:名古屋での熱情と爽やかな風

この空気。とても懐かしい濃厚な日本の空気が、自分の肺に溢れるように流れ込み、それが全身の細胞を生き生きとさせる。 久しぶりに日本に帰ってきた私は、日本の大地を踏んだ瞬間にそのようなことを思った。今回の滞在先は名古屋だ。名古屋のあるホテルで、一つの学会に参加する。 私のアドバイザーの知り合いに、京都大学に在籍しておられる非常に著名な分子生物学者の方がいる。私はその日本人教授について全く知らなかったのだが、アドバイザーの助言もあり、その教授が主宰する学会に参加することにした。 分子生物学という言葉を聞くと、とても専門的な印象を与える。分子生物学は生物現象における非常にミクロな世界を扱う、という程度の知識しか私にはない。 日本に一時帰国する前に、アドバイザーであるサスキア・クネン教授の論文を読み、ダイナミックシステムアプローチを活用した研究に関しては、発達科学よりも生物科学の方が圧倒的に先に進んでいるという考えを改めて持った。 特に、モデリングの技法やコンピューター・シミレーションに関して随分と先にいるのが生物学だ。その論文の中に “Dynamic Systems Biology Modeling and Simulation (2014)”という専門書が引用文献に挙がっていた。 とても興味深かかったので、私はその書籍を購入し、それがちょうど先日自宅に届いていた。到着に合わせて早速中身を確認すると、モデリングの技法やコンピューター・シミレーションの活用に関して非常に進んでいるということを即座に見て取ることができ、これはとても参考になると思った。 私の研究対象は人間の知性だが、生物学の

1334. きっとそうだ

夕食前に入浴をしようと思ったが、やはりまだ文章を書き足りないというあの感覚が残っている。全てのものが必然的な形として外側に表現され、自分の内側に落ち着きをもたらす必要がある。 自分の内側には、未だ形にならぬものが形になろうとして蠢いている。それは、躍動する生命のようなものであり、それに言葉を与え、外側に表現されなければ真の生命を持ち得ないもののように映る。 だから私はそれに救いの手を差し伸べ、生命を持つ形で外側に顕現するように手助けをしたいと思う。今日は早朝の曇り空から雨を想像していたが、雨が降ることはなく、一日を通して暖かい気温であった。 むしろ、少し暑いと感じさせるような気温であったと言える。しかし、明日からまた20度を下回るという予報が出ている。 今日は早朝からオンラインゼミナールがあり、その準備とゼミナール後の様々な対応に時間を充てていた。そのため、今日は普段に比べて、論文や専門書を読む時間を取ることができず、何かを考え、文章にまとめていくということはあまりできなかった。 しかし、今日はゼミナールがあった分、多様な受講者の方たちとのやり取りが引き金となって、いつもとは異なる脳の部位や思考回路が刺激されていたようだった。そのおかげでもあり、いくつか文章として書き留めておきたいことが湧き上がってきたのは事実である。 今この瞬間にまだ書き足りないものが何なのかを少しばかり探索していた。これは意識を内側に凝らし、探索をしてみようとしなければ発見することのできないものである。 少しばかり気持ちを落ち着かせ、浴槽に浮かぶ身体のように、意識の世界の中に心をくつろがせた。すると、フ

1333. あぁそれが

柔らかなバッハの音楽が薄紫色の優しい空気の中を駆け足で駆け抜けていく。夕方の仕事を終え、少し一息つくためにソファに腰掛けた時、そのようなことを思った。 夕方の仕事に取り掛かりながらも、どこか自分の内側に文章を書き足りない感じが漂っていた。外に出すべきものは外に出さなければならない。 それは身体と精神を正常に働かせる上で非常に大事な行為である。とりわけ、自分の内側の感覚が言葉として外に表出したがっている時には、なおさらその自発的な運動を促してあげなければならない。 それを抑圧しては決してならないのだ。どこか文章を書き足り感じを抱きながら、先ほどの私は夕方の仕事に取りかかっていた。 そのような時は決まって、専門書や論文に描かれている文言が頭に入ってこない。それは当然だ。 なぜなら、自分の内側は何かを取り入れることを待っているのではなく、何かを外に表現することを待っているからだ。この当たり前の事実に、最近私はようやく自覚的になりつつある。 だが、先ほどの自分は書き足りない感じが自分の内側を満たしていながらも、何を書き足りないのかが一切わからないような暗中模索の状態にあった。そのような状態では、専門書や論文の内容が一切頭に入ってこないので全くらちがあかなかった。 自分の内側の感覚はどのような言葉として外側に生まれ出てこようとしているのかを静かに待つことにした。一本の木にとまるセミをそっと捕まえようとするように、私は静かに待っていた。 すると私は、過去の日本人の一体誰が、「そよ風」や「黄昏時」、「愛」や「喜び」という言葉を生み出したのか、という考えに心を鷲掴みにされた。書斎の窓から見える

1332. 複雑性科学を活用した発達研究について

昨日に引き続き、今日もグレン・グールドが演奏するバッハの楽曲を聴く。しばらくは、この異質なピアニストの演奏を聴く日々が続きそうである。 書斎の窓越しに外を眺めると、一日のうち最も強い日差しを持つ太陽光が辺りに降り注いでいる。日本で生活をしていた頃や米国で生活をしていた頃は、緯度の関係上、日中最も日差しが強いのは午後二時あたりだとみなしながら生活を続けていたが、緯度の高いオランダ北部のこの街では、最も日差しが強くなるのは午後の四時あたりだ。 ちょうど今がその時間帯である。窓のカーテンの大部分を閉め、書斎に差し込む強い日差しを遮断することにした。 しかし、カーテンによっていくら太陽の光が遮断されようが、その光が自分の内側に絶えず差し込み続けているという感覚が失われることはない。自分の内側には消えることのない光が灯り続けていることを知る。 夕食までの仕事に取り掛かる前に、再度今日のオンラインゼミナールについて振り返っていた。受講者の方から非常に優れた質問があり、それは発達現象を説明する際に複雑性科学が果たす役割についてである。 能力の成長について考える際に、一つの能力を構成する要素を特定し、それらの相互作用を考えることは、研究においても能力開発の実務においても重要になる。だが、一つの能力全体を部分に分割するというアプローチは一見すると還元主義的な、あるいは旧態依然とした科学的アプローチに見えるかもしれない。これは確かにそうだと思う。 しかし、複雑性科学のアプローチを活用する際に重要なのは、全体を要素に分割して考えるということに留まるのではなく、そこから再び全体への統合を図る思考が

1331. 出版記念ゼミナールの第一回のクラスより

今日は午前中に、『成人発達理論による能力の成長』の出版記念ゼミナールの第一回のクラスが行われた。久しぶりにオンラインゼミナールを開講することもあり、初回の今日は諸々のことに少々手間取ることが多かった。 今回のゼミナールからマイクロソフトのPPTではなく、Preziを活用した講義に切り替えた。その理由については以前の日記に書き留めていたように、より私たちのの脳や視覚に訴えかける形のプレゼンを行いたかったからである。 Preziを活用することで、これまでのゼミナールの講義とはまた異なった説明が可能になったように思う。一方で、Preziを活用するためにはPCのワーキングメモリに注意しなければならないと思った。 Preziを活用するとなると、どうしてもワーキングメモリを多く消費することになるようであり、説明の一部で音声が途切れてしまうことがあったようだ。改めて自分のPCのメモリなどを確認してみると、随分とPCが重くなっているようだったので、PCを軽くするようにした。 また、これまではブラウザをGoogle Chromeを使っていたが、以前のようにSafariに戻すことにした。色々と調べてみると、やはりMacを使う場合にはSafariの方が良さそうだという結論に至った。 特に、メモリの消費に関して言えば、Safariの方が圧倒的に消費メモリを抑えることができることがわかった。明日もまた初回の日曜日クラスがあるので、明日以降からは再びSafariをメインブラウザにしたいと思う。 本日の土曜日クラスの内容を振り返ってみると、一つ印象に残っているのは、発達プロセスを表す線形的なメタファーが

1330. 父からの手紙と遥か彼方の場所に向かって

今日からいよいよ『成人発達理論による能力の成長』の出版記念ゼミナールが開始となる。全六回にわたる今回のゼミナールを私自身もとても楽しみにしていた。 今回はこれまで以上に多様な受講生の方々に恵まれ、当日のクラスの中でのやり取りが非常に楽しみである。また、本書を取り上げるのは今回のゼミナールが最初で最後であるため、思い入れも強い。ゼミナールの開始はあと一時間半後だ。 書斎の窓から外の景色を眺めると、今日はどうやら雨らしい。現在は曇りであるが、その雲の色や形を見れば雨が降るであろうことを容易に想像させる。 通りに植えられた木々が、いつもよりも強い風にざわざわと揺さぶられている。そのような景色を眺めながら、私は昨夜の夢を思い返していた。 昨夜の私は、極めて局所的な夢を見ていたように思う。言い換えると、今の自分の記憶に残っているのはたった一つの夢の場面だけである。それは時間としてはとても短かった。 夢見の意識から覚醒意識に移行する直前、私は夢の中で父から一通の手紙を受け取っていた。その手紙の文章の一つ一つが、父の肉声を伴ってありありと知覚されるような夢だった。 父の手紙にあったのは、私に関する「全ての肯定」だった。そこに記載されていた内容は、私の現在の歩みに関する全面的な肯定だけがあった。 探究項目に関する共感、探究に打ち込む姿勢、生き方に関する全ての肯定だけがそこに記載されていた。人はこのように、別の人間を心底肯定することができるのだということを、父の手紙から教えられた。 何より、私は父の手紙の内容に大きな励ましを受けていた。手紙の文字を一文一文目で追うごとに、父の肉声が喚起される

1329. 遥か彼方の世界と糸の導き

黄昏時を迎えた土曜日の夕方。七月も残すところ、あと10日ほどとなった。 七月は、年間のフローニンゲンの気温の中で最も気温の高い月のはずなのだが、相変わらず20度前後の日々が続いている。書斎の窓から見える黄昏も、どことなく秋のそれを思わせる。 一体夏とはどのような季節のことを指すのだろうか。そのことをもう一度自分の体験を通じて掴み直す必要があるように思う。 夕食後、ふとしたきっかけで、レナード・バーンスタイン指揮、グレン・グールド演奏のバッハのピアノ協奏曲を聴いた。作業の手を止め、じっとその演奏に聴き入った。 全ての意識を奏でられる音だけに集中していると、意識を喪失しそうになった。それはまるで、グールドが演奏中に感じていたであろう恍惚的な形で意識が遥か彼方の世界に収束していきそうな感覚だった。 大きな自我が小さな自我に収束し、小さな自我が粒子的な自我に収束し、その粒子がすっと遥か彼方の世界に溶け込んでいくような感覚。演奏が終わり、無音の世界に戻った時に初めて、この世界に再び戻ってきたのだという意識があった。 しばらくグールドの演奏から離れていたが、つくづくこのピアニストの演奏、いや彼の存在そのものが不思議なものに思えてくる。結局、先ほど作業の全ての手を止めて聴き入る以外にも、今日は一日中グールドが演奏するバッハの曲を聴いていた。 明日からもしばらくグールドの演奏を聴くことになるだろう。彼の演奏が自分の中に溶けるまで。 午前中、なぜだか私は、この夏の北欧旅行に際して、ノルウェーの国土に足を踏み入れた時に感じるであろうことが先取りされる形で体験された。そしてその体験から一つの気づ

1328. プラグマティズムと文化的な価値と技術の伝承について

昼食前のランニングに向けて、午前中の時間は全て、ザカリー・スタインの論文を読むことに充てていた。昨日、自らがプラグマティストの側面を持っていることに気づかされたのも、ザックの論文による影響が大きい。 ザックと私は同年代に属しており、彼のほうが五歳ほど年上だ。ザックが今の私の年齢の時、すでに彼は数多くの論文をこの世に送り出していた。そうしたことを考えると、今の私はやはり何も仕事をしていないのだということを知る。 昨日得られたプラグマティストの自覚について、少しばかり抜け漏れている点があったため、もう少し書き留めておく必要がある。私がプラグマティストの側面を持っていることに気づかされたのは、プラグマティズムの伝統を築き上げてきた先人たちの仕事に大きな共感を抱いていたことに端を発している。 ウィリアム・ジェイムズを始め、チャールズ・パースにせよ、ジョン・デューイにせよ、彼らは心理学的な探究に従事していながらも、単に科学的な事実をこの世界に提示するだけでは良しとしなかった。その事実をいかにこの世界で活用していくのかの哲学的な考察を経て、実践的な指示も与えていたのである。 このあり方に私は大変共感する。この世界の現象を科学的に記述するだけは不満足なのだ。 世界を記述することと世界の中で実践をすることが共存在し、記述と実践が常にお互いに影響を与えながら絶えず高まっていく試みに従事しなければならない。その先に、個人や社会の豊かさが実現されていくと信じている。 その実現に向けて、私は科学的な探究と哲学的な探究に絶えず従事しながら、この世界に関与するという実践に励み続けたい。 グレン・グール

1327. 手紙への転生に向けて

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シェイクスピア、プルースト・・・。創作に次ぐ創作を継続させた偉人の名前とその存在の輪郭が、昨夜の就寝前の自分の目の前に現れた。 もはや私は、創作に次ぐ創作を成し遂げた彼らのような人物しか見ることができない。表現に表現を重ね、人生の最後まで内側のものを外側に形として吐き出し続け、吐き出された形が価値を持つために尽力をし続けること。 規律と克己を持って、自己と表現物の双方を絶えず磨き続けることの中で日々を過ごしていくこと。これが何よりも重要だ。 今の私が何も形として残せていないことや価値あるものを創作するための知識や経験が圧倒的に欠落していることに対して焦る必要はない。ただし常に念頭に置いておかなければならないのは、今述べた形で日々を生きていくことだ。それだけは絶対に忘れてはならない。 ウンベルト・エーコが残した言葉「論文は人類へ向けた手紙である」という言葉が持つ感覚質がまだ自分の内側に留まり続けている。現状、私は手紙の書き方やそれを絶えず創作していくための自分なりの方法論を確立していない。 今はその前段階に自分がいることを知る。今の私は、手紙を書こうとする自分を奮い立たせているような段階にいるのだ。 自らを奮い立たせる必要がなくなるまで自分に火を注ぐことによって、初めて方法論の確立に向けた歩みへ踏み出していけるような気がする。そこでようやく、手紙を書こうとする自分は消え、私は手紙そのものになることができるだろう。 その一点だけを見つめ、その点に向かうことを遠ざけるものは一切見ない。その一点から聞こえてくる声だけを聞くために、その声を妨げる音に

1326. 現在と未来の誰かに向けた手紙の中で

今朝は六時前に起床し、六時過ぎから早朝の仕事に取り掛かり始めた。うっすらとした青空の中にちぎれ雲がぽつぽつと浮かんでいる。 早朝の穏やかな太陽光が赤レンガの家々の窓に照らされ、優しく反射している。一羽ののカモメが家々の屋根の上を優雅に旋回している。清澄な朝に今日一日の活動の誓いを立てる。 昨夜は少しばかり印象的な夢を見た。夢の中で私は、旧友たちとサッカーに興じていた。 最初私はサイズの合わないスパイクを履いており、自分の動きに大きな違和感を感じていた。しかし時間の経過に応じて、私の足がスパイクに順応し、途中からは自分の足に完全にフィットしているような感覚があった。 身の丈に合わぬ状況に置かれ、徐々に丈が合ってくることを暗示するような夢。現在の自己を超えた環境に投げ込まれることによって、徐々に環境に適応し、環境によって自己が育まれることを暗示するような夢。 また、環境から自己への働きかけのみならず、自己が環境に適応しようとする能動的な働きを示すような夢だった。この夢の場面が終わる時、私は別の夢へと誘われ、その後は断片的な夢の流れに組み込まれていった。 時間の流れと手をつないでいるかのような夢の流れ。それは連続的な流れでありながらも非連続的な流れでもある。 時間の流れない夢の世界や時間が過去未来と前後するような夢の世界。ある場面の中での時間は連続的に緩やかに流れるが、場面の変化は非連続的な時間の流れを暗示する。夢と時間の関係はとても不思議だ。 昨夜の就寝前に、自分の今後の生き方と取り組みについて考えを巡らせていた。突発的に浮かび上がってきたのは、「学術論文は人類への手紙であ

1325. 迫り来る冬への思い

夕食中、食卓の窓から外を眺めると、夕暮れ時の涼しい風が辺りを吹き抜けているのが見えた。今日の早朝は雷雨に見舞われ、午後から天気が回復しながらも、夕方に入るあたりで突発的な雨に見舞われた。 そして、今この瞬間は空が晴れ渡っている。どうやら明日は、一日中天気に恵まれるようだ。 夕暮れ時の穏やかな太陽が世界を優しく包んでいる。私は思わず、その世界に身を委ねた。 平穏な気持ちがしばらく続いた後、突如として、あの厳しい冬がまたやってくることに対して少々怖気付く気持ちになった。「あの過酷な冬を自分は乗り越えることができるのだろうか・・・」という言葉が自然と漏れた。 昨年、私は初めて北欧に近いこの地の冬を経験した。それは外側の世界の厳しさのみならず、内側の世界の厳しさを私に突きつけてきた。 私は、あの過酷な冬をなんとか耐え凌ぎ、耐える中で一歩一歩の前進を遂げてきた。そして今がある。 少し前に、私はあの鬱蒼とした厳しい冬の到来を懐かしく思い、冬がやって来ることを期待しているようなことを日記に書き留めていたように思う。ひるがえって今は、それとは真反対の感情を持っている。 諸々の境界線の上を歩くことを余儀なくさせる、あの冬がやはり怖いのだ。真の冬を真に生き抜いた先に、また新たな自己の姿があるだろう。 とにかく今は、一度限りのこの夏を精神の髄を通して味わい、この季節を通して養われた髄液が冬の時代に滲み出るように、日々の瞬間瞬間を過ごしたいと思う。 今日は午後より、明後日から始まる出版記念ゼミナールの初回のクラスに向けて最終準備をしていた。Adobe Connectと並行してPreziを活用するの

1324. プラグマティストとしての自覚と準備への邁進

早朝の雷を伴う雨が過ぎ去り、とても穏やかな世界が目の前に広がっている。薄い雲が空を覆っているため、相変わらず太陽の姿を拝むことはできないが、雷雨が止んだことにより、私の気分も変わった。 この天気であれば買い物に出かけることができそうだ。昼食前に、数日分の食料を購入するため、近くのスーパーに行きたいと思う。 午前中、“A Dynamic Systems Approach to Development: Applications (1993)”に収められている、ダイナミックシステムアプローチを発達研究に適用した第一人者であるポール・ヴァン・ギアートの論文を読んだ。専門書に掲載される論文にしては珍しく、70ページ近くに及ぶ長い論文であったが、随所に学びになることがあった。 フローニンゲン大学で長らく研究を続けていたヴァン・ギアートの仕事から私は多大な影響を受けてきたが、彼の仕事の底はまだ見えない。それぐらいに、ヴァン・ギアートの発達思想とモデリング技術には習うべきことが無数に残っている。 ヴァン・ギアートの仕事に触れるたび、自分が歩んでいかなければならない道のりが遠いものであることに気づかされる。だが、焦ることなく、着実に自分の道を歩き、自分の道を切り開いていこうと思う。一人の探究者にできることはそれしかないのだから。 ヴァン・ギアートの論文を読んだ後、私が敬意を表している同年代の哲学者ザカリー・スタインの論文を二本ほど読んだ。スタインの論文を読むにつけ、私自身がプラグマティズムの思想に影響を受けていることを知る。 スタインは、米国の思想家ケン・ウィルバーが、ウィリアム・ジェ

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