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525. デン・ハーグ訪問記:「マウリッツハイス美術館」より

デン・ハーグ中央駅から、まずはデン・ハーグにある最も有名な美術館と呼んでも過言ではないであろう「マウリッツハイス美術館」に向かって歩き出した。デン・ハーグの街を歩いてみてすぐに気づいたのは、フローニンゲンの街とはこれまた一風変わったものが息吹いている、ということであった。 デン・ハーグという街は、フローニンゲンの街とは違う美しさを身にまとっていることがわかったのである。私は都市開発に関する知見をほとんど持っていないため、デン・ハーグのように、政治的な機能のみならず、経済的な機能を持ちながらも、経済原理に埋没することなく、街の美しさをこれほどまでに保っていられるのは、非常に不思議であった。 時間の都合上、デン・ハーグの街を隅から隅まで見て回ったわけではないため、おそらく、現代社会の経済原理に汚染された箇所もこの街にはあると思う。だが、この街に流れる時間の感覚質は、現代社会の経済原理にまだ汚染されておらず、それは街の景観美に不可欠な目には見えない要素として確かに存在していたのである。 そのようなことを思いながら、帰りの列車の時間までに残された時間は八時間弱と限られたものであったため、デン・ハーグの街並みを堪能しながらも、少し足早にマウリッツハイス美術館へと向かった。デン・ハーグの中心に位置するこの美術館の正面玄関が見えた時、その脇には、この美術館が特に大切に所蔵している、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」という作品が掲載された看板が見えた。 その看板を見た瞬間、昨年、実家に帰省していた時に聞いた母の話をふと思い出した。なにやら、日本でフェルメールが世に広く知られるようになる随分と

524. デン・ハーグへ向かう列車より

フローニンゲンからデン・ハーグ行きの列車に乗り、しばらくの時間が経過した。オランダの国内地図をまだ正確に把握していないため、主要都市の地理的関係が少し曖昧である。 そのため、デン・ハーグ行く最中に、かなり多くの地名を頭に入れることができ、それらの位置関係を掴むことができるようになった。正直なところ、アムステルダムを通過し、スキポール国際空港を通過したその後に、ライデンという街が待っており、最後にデン・ハーグに着くことになるとは、想定してなかった。 それくらいデン・ハーグまでの距離が遠かったのだ。列車に乗っている最中、私は自分のノートにアイデアを書きつけるか、あるいは、持参したクネン先生の主著に目を通していた。クネン先生が編集に携わった “A dynamic systems approach to adolescent development (2012)”は、読めば読むほど、新たな発見を生み出してくれる、自分にとっての良書だと再確認した。 デン・ハーグに到着するまでの間、自分のノートとその書籍を行ったり来たりする形で、自分の思考が躍動しているのを感じていた。そうした躍動感のおかげで、今回の私の研究で着目をしていた、教師・学習者間のやり取りの中で見られる思考の複雑性の挙動を、やり取りの推移を考慮しながら、二平面の「状態空間(state space)」の中で表現できる、というアイデアが生まれ、それを研究の中に盛り込んでみたいと思ったのだ。 人間の思考やアイデアの動きというのは、つくづく興味深いものである。もう一つ興味深かったのは、デン・ハーグに到着するまでの三時間弱の間において、常

523. 想いの地、デン・ハーグヘ

今からおよそ三ヶ月前の欧州小旅行と似たような気持ちが湧き上がる朝であった。今日は、早朝の六時過ぎに自宅を出発し、デン・ハーグヘ観光に出かけた。自宅のドアを開けると、そこは完全に冬の朝であった。 身体の芯に届くかのような寒さがそこに広がっており、糸を張りつめたような静けが辺り一面を包んでいた。こうした寒さと静けさは、逆にとても心地の良いものであった。それはおそらく、待ちに待ったデン・ハーグという街にこれから訪れることを期待する気持ちがあったおかげであろう。 静寂さの中で、心の躍動感を確かに実感していた朝というのは、八月中旬に欧州小旅行を開始したあの朝と同じである。フローニンゲンの駅に到着すると、冷えた体を温めてくれるコーヒーを購入し、デン・ハーグ行きの電車に乗車した。 フローニンゲンからデン・ハーグまでは、電車で三時間弱の時間がかかる。電車に乗り込んだ時には、まだ辺りは暗く、景色を楽しむことはできなかった。そのため、持参した専門書を読みながら、しばしの時間を過ごすことにした。 実際には、専門書に目を通す前に、自分のノートを開き、昨日考えていた研究プロジェクトのある項目について、再び考えることをまず行っていた。すると幸運にも、昨日考えが滞っていた箇所に関して、様々なアイデアが湧き上がってきたのである。 列車の二階席に座りながら、景色を眺めることもなく、しばらくの間、ひたすらに自分のノートにアイデアを書きつけるということを行っていた。一つのアイデアが呼び水となり、新たなアイデアが立ち上がっていく。 そして、その新しいアイデアが呼び水となり、再び新たなアイデアが芽生える、というアイデア

522. 内面と仕事の自己展開

今日の仕事を全て終え、一日を振り返ってみると、本日も非常に充実した日であったことがわかる。仕事の成果が目に見える形で現れているわけでは決してないのだが、仕事が確実に前に進んでいる、という推進力のようなものを感じている。 こうした手応えを持ちながら、日々の仕事に取り組めているのはとても有り難い。そのような推進力の波に気づき、その波に巧く乗ることができていれば、仕事が自己展開をするかのように進展していくのである。 今の私は、こうした波の存在に気づき、それに巧く乗る方法のみならず、波そのものを生み出す方法を、自分なりになんとなく掴めてきているのだ。こうした感覚を掴めるようになってきたのは、オランダで生活を始めたことと強く結びついているように思う。 ここ最近、日々の日課の中に、研究データを眺めるということが加わりつつある。これは意識的に導入したものではないのだが、現在の研究で用いている定性・定量データを眺め、あれこれ思考を巡らせることの中に、純粋な喜びをどうやら私は見出しているようなのだ。 これまでは、自分の主たる研究と向き合う日というのは、毎日ではなく、数日間隔であった。その間に行っていたことは、大抵、主たる研究とは直接関係のない専門書や論文を読む、ということであった。 だが、現在は、毎日自分の主たる研究と向き合うようになっている。不思議なもので、毎日研究データを眺めるようになってから、少しずつではあるが、確実な進展が見えるようになったのである。 毎日、自己を観察し、自己を記述することによって、自己が自発的な展開を始めるように、日々、研究データを眺めることによって、研究が自発的な展開

521. 夢のシンボルについて

冬に突入して以降、毎日の睡眠時間が幾分長くなっていることに気づいた。就寝する時間は、以前と変わらず夜の十時なのだが、起床する時間が遅くなっている。ちょうど日が昇るか昇らないかの時間に目覚めるようになっているのだ。 これはもしかすると、自分の中で、バイオリズムを整えるようなことが自発的に起こっているからなのかもしれない。いずれにせよ、睡眠時間を十分に確保することは、適切な食事を摂取するのと同じぐらい重要である。 十分な睡眠と適切な食事がなければ、おそらく今と同じような質と量の仕事を長きにわたって継続していくことは不可能だと思う。今日は九時間以上の睡眠を取っていたように思う。睡眠時間を十分に確保することだけではなく、睡眠の質を高める工夫も大切になるだろう。 私は就寝前に、簡単に身体をほぐし、その後、ベッドの上でヨガのシャバーサナをしながら入眠へ向かうことがここ何年かの日課になっている。また、今のようにとても寒い季節には、湯たんぽを使って腸を温めながら寝るようにしている。 昨日から最低気温がマイナスに入りだしたので、ちょうど昨日から湯たんぽを使うようになった。このように、十分な量と質の睡眠を確保すると、翌朝には、自分の活動エネルギーが完全に充電されているのを感じる。 毎朝、このような感覚を得ることができなければ、それはおそらく、自分の目には見えないところで疲労が蓄積され、活動エネルギーがどんどん減退していることの表れだろう。今朝の起床後、今日の仕事を進めるためのエネルギーが十分に充電されているのを確認すると、昨夜の夢について回想していた。 昨夜の夢のシンボルは、自分にとって大変馴染み

520. 誤解多きシステム思考について

今日もとても寒い一日であった。先日、洗面台の鏡を通して自分の姿を見ると、オランダに来てから自分の髪の毛が伸びる速度が速くなったように思った。そのため、今日はフローニンゲンの街の中心部に髪を切りに行った。 フローニンゲンの街の中で、日本人の髪を上手く切れる美容師がいて本当に助かっている。わざわざ片道二時間半をかけて、ロッテルダムやアムステルダムに行かなくて済むのは喜ばしいことである。 前回担当してもらったロダニムという美容師の腕は確かであるため、今日も彼に髪を切ってもらった。これまでの海外生活では、必ず日本人の美容師の方にお願いをしていたため、前回ロダニムにお願いをするときは、多少の不安があったのは間違いない。 しかし、前回の彼の仕事に大変満足していたため、今回は一切の不安もなく、信頼を持ってお願いすることができた。ロダニムと終始和やかな会話を楽しみ、今回も満足のいく仕上がりになった。 自分の髪の毛の伸びる速度を考えると、やはり四週間に一回のペースでロダニムのところへ足を運ぶ必要がありそうだ。髪の毛を切ったことにより、外の寒さがより増したように思えたが、明後日は天気が良くなるそうなので、デン・ハーグへ訪れようと思う。 帰宅後、引き続き、システムダイナミクスとダイナミックシステムアプローチに関する論文や書籍に目を通していた。以前紹介したように、両者はシステム理論を母体にしているため、共通点が多い。 しかし、両者の関連書籍を眺めていると、二つの言語体系は似ていながらも、やはり明確な違いがあるように思ったのだ。その違いはどこか、オランダ語とドイツ語の違いに似ていると言えるかもしれない。

519. 学びの連環:プログラミング言語「R」について

これまで獲得した知識や経験が思わぬところで力を発揮する、ということに直面した経験は誰しも少なからずあると思う。先日のクネン先生とのミーティングの中で、そのような経験をした。 今回の研究では、応用数学のダイナミックシステムアプローチを活用する前に、統計学の初歩的な手法を活用することにした。その際に、これまで学習してきた知識や経験が役に立つことになったのである。 具体的には、フローニンゲン大学に入学するために課せられた統計学の基準を満たすために、昨年は、米国のジョンズ・ホプキンス大学が提供するオンラインの統計コースを二つほど受講し、統計学の知識基盤を確立することを行っていた。 さらには、統計に関するプログラミング言語Rに関しても、これまで気づかないところで多くのトレーニングを積んでいたことに気づいた。それは、二年前に在籍していたマサチューセッツ州のレクティカという組織で、Rを学習するグループに参加しており、実際にRを活用する機会に恵まれていたことを思い出したのだ。 その後、しばらくRから離れていたのであるが、昨年は英国のケンブリッジ大学を訪問し、心理統計学科が提供するRのトレーニングを受けていた。クネン先生から、「統計的なアプローチをする際に、SPSSを使うことに慣れているか?」と質問を受けた。 「SPSSに触れたことはないが、Rであれば使うことができる」と答えると、クネン先生は驚きの笑みを浮かべていた。実は私にとって、Rが初めての統計に関するプログラミング言語なのだが、クネン先生曰く、SPSSの方が操作が簡単で、Rはプログラミングコードを自分で書いていかなければならないため、上級

518. システムダイナミクスとダイナミックシステムアプローチ

今日は、システムダイナミクスに関する論文を五本ほど読んでいた。システムダイナミクスは、1950年代の後半に、MITのジェイ・フォレスターが提唱したものであり、システム思考を用いたコンピューターシミレーションにその特徴がある。 今日読んでいた論文のうち、三本はフォレスターのものであり、残りの二本は、経営学の分野において日本でも有名なピーター・センゲとジョン・スターマンが執筆したものである。現在の私の関心項目の一つは、まさに「システム」である。 人間の知性や能力を動的なシステムと見立てた研究と実践が、現在最も時間を費やしていることだと言える。システムダイナミクスの考え方と、現在私がフローニンゲン大学で研究しているダイナミックシステムアプローチは共通する事柄が多い。 それもそのはずで、両者は共にシステム理論の考え方を基盤に置いているからである。理論的な共通事項以外にも、技術的な共通事項もある。例えば、使うソフトウェアは違えど、どちらもコンピューターシミレーションを活用するというのは共通しているのだ。 一方、システムダイナミクスの論文を読み進めているうちに、両者が若干異なるアプローチでシステムを捉えていることに気づく。システムダイナミクスは、MITという工科大学に起源があることもあってか、システムのフィードバック関係を工学的な発想で捉えているように思う。 実際に、システムダイナミクスの開発者のフォレスターが専門としていたのは電気工学であるため、そのような色が付いているのかもしれない。一方、ダイナミックシステムアプローチは、もともとは応用数学に起源を持ち、確かに工学分野でも活用されている

517. 冬の中の灯火

フローニンゲンの街も完全に冬に入ったようである。早朝、書斎の窓から目の前のストリートを眺めると、厚手のコートやニット帽に包まれた人たちが懸命に自転車を漕いでいるのが見えた。 私も今日からいよいよ、自宅のヒーターを活用し始めた。ここからしばらくは、長い冬の時期となる。私は特定の季節を贔屓するというようなことはなく、どの季節もその固有さゆえに好んでいる。今は、冬の中に自己を置き続けるということが重要になると思っている。 冬の次にやってくる春を想うのではなく、冬の中で冬を想うことが大切になる。言い換えると、自己と冬が完全に重なり合うまで、自らをその季節に委ねることが大切だ。さもなければ、自分の内側で春がやってくる日など訪れようがないだろう。 書斎の窓から、再び外を眺めると、これまで黄金色の葉っぱを身にまとっていた木々が裸になっていた。裸となった木々を通して、真向かいにあるレンガ造りの家々が、これまで以上に存在感を放っているように思える。 それらの裸の木々に、再び葉が生い茂り、実がなるときまでに、自分はどのような仕事を積み重ねていくことができるのだろうか。そのようなことを想う。これは春を想うことに近い感情かもしれない。そうした感情に囚われることなく、今日もまた自分の仕事を進めていきたいと思う。今の自分にとって、それが冬を通して冬を生きることなのだ。 昨日のクネン先生とのミーティングを、また少し振り返っていた。そういえば、ミーティングが始まる前に、見知らぬ教授がクネン先生の研究室を訪問し、来学期の「複雑性と人間発達」というコースについて、二人は何やらオランダ語でやり取りをしていた。 二人

516. 霜降るフローニンゲンとクネン先生とのミーティング

11月の第一週目だというのに、最低気温がマイナスの日が出現し始めた。なんと驚いたことに、明後日はの天気予報には雪マークが付いている・・・。昨年のこの時期は、東京で生活をしており、まだ冬用のコートを羽織る必要などなかったと記憶している。 そして、一昨年のこの時期は、ロサンゼルスで生活をしており、まだ半袖で十分生活ができていたように思う。それが一転して、もうすでにマフラーと手袋を着用し、冬用のコートを羽織る必要があるとは思ってもみないことであった。 今朝は、そのような寒さに包まれたフローニンゲンの街に出て行き、論文アドバイザーのクネン先生の研究室に向かった。今日のミーティングでも、非常に的確な助言を授かることができた。 クネン先生とのミーティングは、文字通り、いつも発見の連続であり、必ず得るものがある。何より、自分の研究を前に進めてくれる推進力の伴った助言を与えてくださることには、いつも非常に感謝している。 クネン先生の研究室に到着し、いつも通り、雑談から会話を始めた。クネン先生は、ちょうど先週が丸々休暇であり、孫のところへ訪問していたそうだ。話を聞くと、孫のモリス君は、どうやら「おじいちゃん “opa”」という言葉を口にすることができるようになったそうなのだが、まだ「おばあちゃん “oma”」という言葉を発することができないそうだ。 “p”と “m”の音を比較すると、発音の難易度が違うのかもしれない、という話で盛り上がった。なんとか「おばあちゃん」と発音できるように教えているのだが、なかなかうまくいかない、とクネン先生は笑いながら述べていた。モリス君が「おばあちゃん」と発音できる

【お知らせ】グロービスでの特集記事

グロービスの金田裕香子さんが、グロービスのウェブサイト上で、拙書『なぜ部下とうまくいかないのか』の書評を執筆してくださりました。 本書の内容を簡潔かつ的確にまとめていただいているので、ぜひ閲覧・共有いただけると幸いです。 特集記事はこちらより

515. 概念的複雑性と実践力の関係

今回の研究プロジェクトで焦点となる「概念的複雑性」について少しばかり考えていた。クネン先生からも、そもそもなぜこの概念を取り上げたのかについて、論文提案書の中で言及しておく必要があると以前指摘を受けていた。 構造的発達心理学では、そもそも、人間の知性や能力が高度に発達していく現象を扱っていく。この時、「高度」という言葉は、質的な差異を意味している。つまり、私たちの知性や能力が高度化するというのは、質的に新たな境地に到達することを意味しているのだ。 私は成人学習に関心があり、成人学習を通した質的な成長とは、学習項目に対する理解度の発達が一つ重要なものになると思っている。もちろん、新たな知識を獲得することに純粋な喜びを見出し、そうした喜びが満たされれば満足である、という学習者もいるだろう。 普段、私も一人の学習者であり、こうした純粋な喜びが満たされるのか否かは、学習上の重要なポイントになることは理解できる。しかしながら、多くの学習者は、学習を通じて知識基盤を確立し、それを実践の中で活用することを望んでいるはずである。 ある学びを通じて、学習者が知識基盤をどれだけ強固なものにすることができたか、そしてそれはどのような要因によってもたらされたのかを研究することは、私の一つの関心事項である。この時、学習者の知識基盤の度合いを評価するのに、「概念的複雑性」という概念を採用することは有益だと思う。 なぜなら、概念的複雑性というのは、言い換えると、学習項目に対する理解度に他ならず、理解度を測定することは、学習者の知識基盤の度合いを評価することと同じ意味を持つと考えているからである。また、概念的

514. 研究プロジェクトの進捗状況

昨日は、研究プロジェクトを少しばかり前に進めていた。具体的には、定性的なデータを定量化するべく、カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論のレベル尺度を適用しようとしていた。 思った以上に定量化の作業がうまく進んでいたが、幾つか問題も浮上した。今回の研究プロジェクトは、「成人のオンライン学習」をテーマとしている。具体的には、学習者がクラスを通して、各々の「概念的複雑性(conceptual complexity)」をどのように変化させながら学習を進めているのか、教師のどのようなインタラクションによって、学習者の概念的複雑性が変化するのかを研究している。 クラスの中の発言の概念的複雑性をフィッシャーのレベル尺度で評価した時、スコアが付けようのないものなどがある(例: “Thank you.” “I see.”など)。そうしたスコアが付けようのないものの取り扱いについて、今日のクネン先生とのミーティングでディスカッションをしようと考えている。 昨日の段階では、それらを「0」として、クラス全体の概念的複雑性の推移をグラフ化して眺めていたが、グラフの中に「0」が含まれるため、当然ながら変動が激しく見える。もう一つの案として、スコアが付けようのないものはグラフ化しないというものがある。 ただし、 “Thank you.” や“I see.”という表現も定性的な意味を持っていることはまちがいなく、「グラウンデッド・セオリー」を用いてカテゴリー化すれば、それらは “appreciation”や “understanding”などに分類することができる。そのため、定性的な分類としては重要な要

513. 能力の乱開発

人間の知性や能力を多様な要素の相互作用で構成された複雑なシステムと見立てる、というのは、ダイナミックシステム理論をもとにした発想の根幹にあるものだと思う。こうした発想は、過去の発達科学の見立てとは趣が異なるため、ダイナミックシステムアプローチは、知性や能力の複雑な発達プロセスを分析することだけではなく、知性や能力を育む手法を開発することにも有益な洞察を提供してくれると思う。 特に、知性や能力を構成する多様な要素(要因)が何であり、それらがどのような相互作用を行っているのかを考える際に、このアプローチは力を発揮する。要素を特定し、要素間の関係性が明瞭になれば、必要に応じて、成長のドライバーとなる要因に介入したり、機能不全に陥っている要因に介入することなどが可能になるだろう。 機能不全に陥っている要因を発見し、それに対して治癒的なアプローチを採用することは、それほど異論がないように思う。しかし、成長支援に携わる際に、実務的にも倫理的にも悩ましいのは、成長のドライバーに介入する度合いについてである。 介入の意思決定に際して、悩ましいケースは、そのシステムが全体としてすでに健全に作動している場合である。要するに、仮に成長のドライバーを特定できたとしても、そこに下手に介入の手を加えてしまうと、システム全体の動きがぎこちないものになってしまうケースがあるのだ。 今日の午後、マービン・ミンスキーの書籍を読んでいて参考になったのは、「正常に機能しているシステムに変化を与えることは常に危険性が伴う」というミンスキーの指摘であった。ビジネスの領域にせよスポーツの領域にせよ、さらには教育の領域にせよ

512. 心象イメージと本日の読書

以前言及したような、意味が生成する深層世界に意識的に参入することが可能になりつつある。就寝前に、目を閉じて横たわりながら心身をリラックスさせ、その後、自分の手のひらをおでこにかざすと、意味が生成する深層世界に入っていくことを感じることができる。 具体的には、意味が内包する心象イメージが意識内で立ち現れては消え、立ち現れては消え、というような現象が起こる。鮮やかな色を伴った心象イメージがめくりめく変化していく様子を最初に目撃した時は、自分の意識と脳内で何が起こっているのか定かではなかった。 今現在は、こうした心象イメージが流動的に立ち現れるという現象に対して、とても冷静に受け止めている自分がいる。短い時間の中で、大量の映画を鑑賞しているような感覚なのだが、面白いことに、それらのイメージをこちらから意図的に操作することはできないようなのだ。 つまり、自分が見たいような心象イメージを意図的に生み出すことはできず、意識内で生成された心象イメージをただただ鑑賞することしか、こちら側にできることはないのである。昨夜も就寝前に、意味世界の深層に降りていき、千変万化する心象イメージをただただ眺めがら眠りについた。 起床後、今日は幾つかの専門書を並行的に読み進めていこうと思う。最初に取り掛かろうと思うのは、「人工知能の父」と称されるマービン・ミンスキーの “The society of mind (1985)”という書籍である。 本書は、人間の知性に関して、実に多様な論点を紹介している。同時に、各論点が基本的に一ページでまとまっているため、非常に読みやすい。本書の全ての内容に目を通していこうとす

511. オランダの大学院の成績評価について

今朝起床すると、同じプログラムに所属のエスターからテキストメッセージが届いていた。なにやら、先日実施された「タレントディベロップメントと創造性の発達」のコースの最終試験の結果が出たとのことである。 エスターは親切にも、メッセージの中に彼女のスコアを記載していた。天体物理学を専攻していたためか、数学的香りのする非常に鋭い知性を持つエスターは、学部時代からフローニンゲン大学で学んでおり、コンピューター試験の形式にも慣れていると述べていた。 彼女のスコアを見ると、そのような特徴を持つエスターでさえも、そのぐらいのスコアした獲得できないのか、という思いが湧き上がり、自分のスコアを確認することを若干躊躇した。躊躇しながらも、各生徒が持つポータルサイトを通じて成績を確認すると、エスターよりも高得点を獲得していたことが判明した。 その事実が判明した時、今度は、どのようにエスターの気分を害さないように自分のスコアを伝えるかを考えた。皮肉にも、「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースで習得した考え方を用いると、自分が「規範的アプローチ」と「基準的アプローチ」の間で感情が少し揺さぶられていることに気づいた。 規範的アプローチとは、他者と自分の能力を比較する形で、自分の能力を評価するというものである。一方、基準的アプローチとは、客観的な測定手法に基づいて、自分の能力を評価するものである。エスターのスコアを聞いた時と自分のスコアを確認した時に、間違いなく、規範的アプローチの評価軸が自分の感情世界の中に入り込んでいた。 一方で、基準的アプローチを用いて、1-10の尺度で表されるスコアの中

510. オンラインゼミナールより

本日の午前中に、『卓越性研究の最前線』という新オンラインゼミナールの最初のクラスを開催した。初回のクラスの終了後、受講生の皆さんと同様に、自分でもあれこれと今日のクラス内容について振り返りを行っていた。 私たちが「才能」という種を「卓越性」という果実に育んでいくためには、一般的に、多様な要素の相互作用と長大な時間を必要とする。己の才能がどのようなところにあるのかに気づくことも難しければ、それに気づいた後に、自分の才能を開花させるための実践に継続的に取り組んでいくことや、そうした才能を真に開いてくれる環境に飛び込んでいくことも非常に難しい。 現代社会においては、評価しようのない才能の書類が無数に存在しており、それらの才能はあってないものとみなされてしまっている。発達心理学者のカート・フィッシャーが指摘しているように、人間の発達プロセスが多様であるのと同様に、才能というのも人の数だけ本来は存在するはずである。 しかしながら、社会として才能を評価・支援する仕組みや文化がなければ、一人一人に固有の才能は果実になることなく、その芽を早い段階で摘み取られてしまうことになる。結果として、私たちの多くは、自分が本来発揮するべき才能とは別種のものに対して、生命時間を費やさざるをえない状況にいるのではないか。 才能や卓越性に関するテーマは、どのような社会を形作っていくべきなのか、という非常に大きな論点を内に含んでいるように思う。フローニンゲン大学で「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースを受講していた時、才能や卓越性に関する実証結果や研究の進め方については、かなりの知識を得ることが

509. 多様な波

今日の午後、二つのインターネットブラウザーを使って、同じアプリケーションを起動させてみたところ、その起動速度が異なることに気づいた。気になったので、ブラウザーごとの回線速度を調べてみると、随分違いがあることがわかったのだ。 また、ブラウザーごとの毎秒の回線速度の波形が違うのではないか、というようなことも考えてみた。そのようなことを考えてみると、本日目を通していた専門書の中に、知らなかったノイズの種類を発見した。 以前紹介したように、私たちの知性や能力は、不可避的に「変動性」を帯びている。そして、そうした変動性は、三つの種類のノイズに分類することができる、と紹介したと思う。しかし、その専門書を読んでみると、どうやら「レッドノイズ」や「ブラックノイズ」と呼ばれるものも存在するということがわかった。 変動性の種類は、わずか三つのものではなく、実は多様な種類があるのである。こうしたことは、人間の意識状態にも当てはまる。アメリカの思想家ケン・ウィルバーのインテグラル理論を学んだ者にとってみれば、意識の状態にも様々な種類のものがある、というのはよく知られたことだと思う。 実際に、インテグラル理論では、「グロス、サトル、コーザル、非二元」という四つの分類が用いられることが多い。しかしながら、意識状態の種類が四つしかないと思うのは、完全なる誤解である。 意識状態に関する近年の研究では、より多様な種類の意識状態があることがわかっているのだ。それと同様に、知性や能力が本質的に備えている変動性にも、多数の種類があるということを念頭に置いておく必要があるだろう。 オランダに来てから、一見些細に思える日

508. トマトとチーズと複雑性システム

今日は夕食中、唸ってしまうことがあり、思わず食卓を小刻みに叩いていた。近所のスーパーで購入したオーガニックの大きめのトマトと、チーズ専門店で購入したチーズを一緒に口に運んだら、その組み合わせが途轍もない美味を生み出していたのだ。 そういえば、イタリアン料理では、トマトとチーズを組み合わせるような料理がいくつかあることを思い出した。これまでの私は、なぜトマトとチーズを別々に食べていたのか疑問に思うほど、それらの組み合わせは絶妙であった。 この一件と、今日一日をかけて読んでいた “Thinking in complexity: The computational dynamics of matter, mind, and mankind(2007)“という書籍の内容は関係したものであることに気づく。本書は、さすがSpringer社から出版されているだけあり、複雑性システムに関する非常に中身の濃いい専門書である。 先ほど、トマトとチーズの組み合わせを「途轍もない美味」と表現したが、まさに二つが組み合わさった時の味は、トマトとチーズの単純な総和ではないことに気づくことができる。謎なのは、まさに二つの食べ物が掛け合わさった時に生まれる新たな味の存在であり、その味を生み出す内在的な力そのものである。 先ほど、皿の上に存在していたトマトとチーズは、動的なシステムの定義に当てはまらないのだが、それでも二つのものが組み合わさることによって、単純総和ではないものを生み出すことは大変興味深いことだと思う。 上記の書籍を読みながら、ライプニッツ、カント、ヒューム、シェリングという偉大な哲学者たちは、複

507. ベートーヴェンとスピノザ

今日は朝から雨模様である。当初の計画では、フローニンゲン大学の社会科学キャンパスに行き、研究に必要な論文をいくつかプリントアウトしようと思っていたのだが、雨が降っていることもあり、今日もまた一日中書斎にこもって仕事をすることにした。 気づけば、人と会うことを極力控え、最低限の外出しかしないような生活を始めてから、五年の月日が経つ。自分の特性から考えると、こうした生活は私に合致したライフスタイルなのだろうと思う。 このような生活の中で、音楽というのは自分にとって欠かせない存在であるようだ。書斎での仕事の最中は、常にクラシック音楽を流しているため、毎日10時間以上は音楽に包まれている計算になる。 大抵、ピアノ曲を流していることが多いのだが、最近はオルゴール曲を流すこともしばしばある。今日は、起床直後から、ベートーヴェンの交響曲を流している自分がいた。 確かに、交響曲はピアノ曲に比べると、多様な音色が一つの強いエネルギー体を生み出しているのだが、音色の多さに混乱してしまったり、そのエネルギー量に圧倒されてしまうことがあるため、起床直後から交響曲を選択するというのは滅多にないことであった。 もしかすると、今日は朝から力強いエネルギーを外側に発揮したいと思っていたのか、あるいは、そうしたエネルギーを内側に必要としていたのかもしれない。気がつくと、三時間以上にわたって、ベートーヴェンの交響曲第七番と第九番を再生し続けていた。 ベートーヴェンの音楽の影響からか、昨夜、何気なく手に取って読んでいたスピノザ全集 “Spinoza: Complete works (2002)”を思い出した。この書

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